ホーム>世界の学校こぼれ話 第8回 教育様式① その二

世界の学校こぼれ話 二宮 皓
AkiraNinomiya

【PROFILE】二宮 皓(にのみや・あきら)
1945年、鳥取県生まれ。広島大学教育学部卒。広島大学大学院教育学研究科博士課程中退。大学院在学中米国フルブライト留学(コネチカット大学)。文科省大臣官房調査課、広島大学教授、同大学留学生センター長・教育開発国際協力研究センター長・理事・副学長、放送大学理事・副学長、比治山大学学長などを歴任。専門は比較・国際教育学。著書に『世界の学校』(学事出版)、『21世紀の教育と学校』(協同出版)、『こんなに違う!世界の国語教科書』(監修、メディアファクトリー新書)、『こんなに厳しい!世界の校則』(監修、メディアファクトリー新書)など。テレビ『世界一受けたい授業』への出演なども。

このシリーズは、協同出版発行の月刊『教職課程』に2009 年9月号から2010年8月号までに連載した「放課後の学び舎」を採録したものです。

第8回

教育様式① その二

男女別学と男女共学

まず男女別学・共学といった点から教育様式をみてみましょう。子育ての場としての「学校」は、男と女をどのように扱ったのでしょうか。つまり男女は別々の学校や教室で授業を受けるのか、同一の学校や教室で受けるのか。その男女別学と男女共学の違いはどこからきたのでしょうか。「学校」はどうも男子のためにあったと想像できます。女子は家庭で教育されるのが基本で、学校に通うということはあまりなかったのではないでしょうか。紀元前のシュメールの学校、スパルタの学校、ローマの学校は男子を訓練する(役人や兵士)場であったようです。修道院は元来男女別住が基本であり、それぞれ別々の教育課程で学び、修行することになっています。映画『天使にラブ・ソングを……』(ウーピー・ゴールドバーグ主演、1992 年)を思い出すまでもなく、同一の修道会が男性と女性の修道院を経営し、男女別住の様子がわかります(映画では修道会が設置する学校は男女共学となっているのでお間違えなく)。女子修道院の戒律は一層厳しいものです。

仏教の世界でも、男子の出家修行者を比丘(びく)と呼び、女性の出家修行者を比丘尼(びくに)と呼んで区別します。お釈迦さんは当初女性の出家をお許しにならなかったそうですが、男性の僧を敬うなどの条件を課して女性の出家を認められたとのこと。日本でも西暦6世紀にはすでに尼僧が誕生しています。いずれにしても男女別住であり、別学であったようですね。

男女別学の思想はキリスト教の教え(教育観)や儒教思想と結びついて一層制度化されてきます。とりわけカトリックの国の学校では男女別学が基本です。フランスの学校では男女別学が旨とされ、同一の校舎であっても、学校の門をくぐるとそこは、男子校舎と女子校舎が待っているという男女別学様式がありました。カトリック教会のピオ(ピウス)11 世(ローマ教皇)は20 世紀初頭に「男女の特性を考慮して青少年を教育することが必要である」という回勅を発して、男女別学を奨励しました(男女共学を否定する思想でもある)。カトリックが主流をなす国ではこうした事情もあり、男女別学の教育様式が温存されることとなりました。中等学校はイギリスなどでも別学が少なくないようですね。

儒教的教育思想は、武家社会・封建社会の秩序思想や男尊女卑の思想とあいまって、男女同席を否定するものでした。男性と女性の役割の違いを強調し、それぞれ別々に育てられ方が主張されました。男女別学を旨とする儒教的教育思想がある意味で戦前の学校制度を形成してきたともいえます。なお庶民教育機関としての寺子屋は男女共学ですね。


インドの女子校


インドの男女共学の小学校に通う児童

 

それに対して男女共学は、戦後の教育基本法でも「尊重されなくてはならない」ということで特に奨励され、さらに女性差別撤廃条約でも「同一の教室・教材・教師」による授業を受けるという共学の定義を強調することで、男女共学の教育様式が強く求められました。女子児童生徒の教育を受ける権利が制限されてきた歴史の中で(現在でも途上国におけるジェンダー問題としてあるが)、一方で女子教育の意義を理解しながらも、「同一」という精神からどのように男女共学の教育様式を発展させていくのか、が問われています。近現代の歴史の中で古くて新しい問題であるといっても過言ではないでしょうね(注)

 

(注)男女同権、男女共同参画社会、女性が活躍する社会、一億総活躍社会など男女の性別にとらわれることなく、また男女を越えたトランスジェンダーの社会的承認など生物学的性に拘泥しない社会の中にあって、わが国でも依然として「女子中学校・女子高等学校」「男子中・高等学校」が存続していることに鑑みれば、ミッション系、カトリック系の学校の伝統や世俗的な学校でも「女子教育」を受けさせたい、受けたいという社会的要請が強く残っていると言える。その意味で「古くて新しい課題」であると言える。