ホーム>世界の学校こぼれ話 第12回 教育様式③ その一

世界の学校こぼれ話 二宮 皓
AkiraNinomiya

【PROFILE】二宮 皓(にのみや・あきら)
1945年、鳥取県生まれ。広島大学教育学部卒。広島大学大学院教育学研究科博士課程中退。大学院在学中米国フルブライト留学(コネチカット大学)。文科省大臣官房調査課、広島大学教授、同大学留学生センター長・教育開発国際協力研究センター長・理事・副学長、放送大学理事・副学長、比治山大学学長などを歴任。専門は比較・国際教育学。著書に『世界の学校』(学事出版)、『21世紀の教育と学校』(協同出版)、『こんなに違う!世界の国語教科書』(監修、メディアファクトリー新書)、『こんなに厳しい!世界の校則』(監修、メディアファクトリー新書)など。テレビ『世界一受けたい授業』への出演なども。

このシリーズは、協同出版発行の月刊『教職課程』に2009 年9月号から2010年8月号までに連載した「放課後の学び舎」を採録したものです。

第12回

教育様式③ その一

欧米では、なぜ学校で生徒が掃除をしないのか

モーガン・フリーマン主演のアメリカ映画『ワイルドチェンジ(Lean on Me)』を観たことはありますか(DVDでも視聴可能)。そこでは、生徒は誰も掃除していませんね。カストディアンと呼ばれる職員がフリーマンが演じるジョー・クラーク校長の指示で、校内を清掃し、落書きを消すシーンが出てきますね。

イギリス映画『小さな恋のメロディ』はいかがですか。制服をまとった可愛い生徒たちが登場し、勉強したり、集団礼拝をしたり、時には体罰を受けたりするシーンが出てきますが、生徒が学校を掃除しているシーンはまったくありませんね。

欧米では、なぜ生徒が掃除をしないのか。その理由は、一つには掃除に対する考え方が違うこと。もう一つは学校観が異なることにあるといってもいいでしょう。つまり、掃除をすることは特段教育的意味があるわけではなく、学校の場を清潔に保つ、美しく保つ、安全に保つ、という環境の美化・維持のための掃除であって、それ以上でもそれ以下でもないのです。

そもそもギリシア・ローマ時代から、階級制と職業による分化が定常化していたヨーロッパにおいて、掃除はあまりいい仕事とはみなされてこなかったという差別的掃除観があったようです。他方でパブリックスクールなどの学校は少し豊かな家庭の子弟などを対象としているので、学校で生徒に掃除をさせる、などといったことは想定さえされなかったのです。公立の学校が始まり、誰でもが就学するようになっても学校で掃除をさせることは考えられもしなかったのでしょうね。教育行政当局は専門の人を雇用して掃除に当たらせてきたのです。

また学校とは「何をする場」なのか、という学校観も大きく作用していると考えられます。親からすると、学校には「勉強」に行かせているのであって、掃除をするために行かせているのではないと思っています。掃除をさせることで何か「勉強に役立つこと」があるとは考えたことがないのでしょうね。掃除をさせている国での考え方と比べていただければ、このような学校観や掃除観も「なるほど」と納得がいくと思います。

 

旧ソ連・ポーランドなどでは、なぜ学校で清掃員と一緒に生徒も掃除をするのか

20数年前に調査したころの話ですが、ソ連などの旧社会主義国の学校では、社会主義的教育の原理から生徒も学校で掃除などの労働活動に従事しなければならない、と考えられていたようです。学校が労働する場であったようですね。もっと正確にいえば、生徒が将来生産労働などの「社会的有用労働」に従事できるよう、学校でその準備としての労働についての学びを強制していたということです。掃除は小学校の小さい子どもでも十分に参画できる労働活動であり、「社会的有用労働の準備教育」として学校活動に位置づけられていたのです。

5年生になると労働科の授業が行われるようになり、やがて農場や工場などでの実地学習も行われ、生徒は労働の理論や実際を学んでいくのです。これは共産主義社会を建設する上でイデオロギーの教育と並んで最も重要な教育目的である労働教育の一環です。総合技術教育(ポリテクニーク)の考え方を発展させたのもこうした労働教育を重視したソビエトの教育でしたね。