ホーム>世界の学校こぼれ話 第14回 教育様式③ その三

世界の学校こぼれ話 二宮 皓
AkiraNinomiya

【PROFILE】二宮 皓(にのみや・あきら)
1945年、鳥取県生まれ。広島大学教育学部卒。広島大学大学院教育学研究科博士課程中退。大学院在学中米国フルブライト留学(コネチカット大学)。文科省大臣官房調査課、広島大学教授、同大学留学生センター長・教育開発国際協力研究センター長・理事・副学長、放送大学理事・副学長、比治山大学学長などを歴任。専門は比較・国際教育学。著書に『世界の学校』(学事出版)、『21世紀の教育と学校』(協同出版)、『こんなに違う!世界の国語教科書』(監修、メディアファクトリー新書)、『こんなに厳しい!世界の校則』(監修、メディアファクトリー新書)など。テレビ『世界一受けたい授業』への出演なども。

このシリーズは、協同出版発行の月刊『教職課程』に2009 年9月号から2010年8月号までに連載した「放課後の学び舎」を採録したものです。

第14回

教育様式③ その三

続 日本などアジアでは、なぜ学校で生徒が掃除をするのか

 

 

●「一掃除・二看経・三学問」の教えと掃除の「五功徳」

永平寺では僧の修行の教えとして、修行者は日の出前に起床し、無言で掃除をする。掃除ができるようになって次に経を読むことを許される。そして経典を読むことができて初めて教えを解釈し、深く学ぶことができるという、学びの3ステップを教えたものであるといいます。

外国語である経典を暗記し読みこなすことは至難の業であり、集中力や根気・忍耐が必要です。そうした力を培うのが「掃除」であると考えられています。心を磨くとはまさに、掃除を通してこのような学問・勉強に必要な資質や能力の基礎を築くことであると教えています。座禅も悟りを得る修行の方法ですが、掃除も同様の方法の一つであるともいえます。

こうした掃除観は欧米にはありません。アジア的思惟であり、日本人の心でもあります。掃除さえできないものに何ができるか、と教えているようですね。

さらにお釈迦さんの教えに、掃除の五功徳という教えがあるそうです。

一 自心清浄(自分の心がきれいになる)

二 他心清浄(人の心もきれいになる)

三 諸天歓喜(ものがいきいきとしてくる)

四 端上の業を植ゆ(正しい行いの種がまかれる)

五 死後天上に生ず(死後極楽にいける)

 

●文化としての学校掃除

日本の近代の教育法規をいくら調べても、学校では生徒が毎日掃除をすべきであるという規定はありません。学習指導要領にも記載がありません(大掃除を除いて)。にもかかわらずこれまで全国どこの学校でも皆が掃除を行ってきました。祖父も祖母も、父も母も、そして兄も姉も、弟も妹も。誰もが学校掃除を経験しています。こんな世代を超えた共通の学校の営みがあるでしょうか。法律や強制を超えたところに、伝統的な文化としての学校掃除があったのだといっても過言ではないでしょう。学校掃除はタイや韓国などアジアの国々において、とりわけ日本では一つの仏教的背景をもつ精神文化でもあり、座禅と同じような心の修行の方法であると解されてきたのですね。

 

●仏教発祥の地インドの学校では?

ちなみに、過日インドの学校を訪問した時に観察したのですが、生徒はまったく掃除をしないで、大人の女性の人が箒で学校を掃除していました。仏教発祥の地ではもはや掃除は教育的意味を喪失しているのでしょうね(ヒンズー教徒が主流)。

インドの学校で女性の人が掃除をしている写真をみていただきたいのですが、彼女が使っている箒だけは昔ながらのものなのでしょうね。周梨槃特もおそらくこのような形をした箒をつかって、祇園精舎の庭を朝に夕に掃除を行っていたのでしょうね。