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ゆとりの学び ゆとりの文化 -21世紀の学習文化- 新井郁男

平成10年から12年まで新潟日報に「ゆとりの文化」というテーマで連載した小文と、平成5年から平成12年まで野外文化研究所の機関紙に「『持つ』文化と『ある』文化」というテーマで連載した小文を、平成13年にエッセー集としてまとめて、『ゆとりの学び、ゆとりの文化―21世紀の学習社会―』というタイトルで教育出版から発行しました。今回のこのシリーズは、そのなかから現下の教育改革、教育課程改革と関連のあるものをピックアップしていきたいと思います。出版後、新たな改革が進められつつありますが、筆者の考え方は特に変わっていませんので、特に変更などをしないで掲載いたします。現下の改革などに照らしながらお読みください。ご興味のあるかたは著書もお読みいただければ幸いです。

【著者紹介】
新井郁男(あらい いくお)

1935年長野県生まれ。1959年東京大学教育学部卒。文部省(現文科省)、国立教育 研究所、東京工業大学、上越教育大学、愛知学院大学、放送大学などで教授などを歴任。 現在は、上越教育大学名誉教授、星槎大学特任教授。

 
 

第13回

学習社会

社会、文化による教育

ユネスコが生涯教育を提唱してから30余年がたった。最初は、ことばや理念ばかりが花盛りで、実践がさっぱりともなわないということが問題とされた。しかし、いつのまにかまわりを見渡すと、地域での実践が活況を呈している。

ことばのほうも、「教育」が一方的に知識や技術を教えこむという押しつけがましいイメージがともなうことから「学習」にかわっている。地域によっては、「楽習」ということばをつかって、イメージのソフト化につとめている。生涯学習は「いつでも、どこでも、だれでも」をキャッチフレーズにして推進されているが、放送大学では、それを「いつでも、どこでも、どなたでも」と、さらに柔らかな表現にしている。こうした、生涯学習を推進する行政や教育機関の努力や配慮もあって、生涯学習は国民的・市民的なレベルで盛んになっているわけである。

しかし、ここであらためて考えてみるべきことは、真の学習社会とは何かということである。学習社会=Learning Society(ラーニング・ソサエティ)ということばを最初に使って注目されたのは、シカゴ大学総長として、教養という観点から大学のカリキュラム改革に取り組んだことで有名なロバート・ハッチンスであるが、それは最近わが国で一般化している生涯学習社会ということばとは同じではない。

ハッチンスが構想した学習社会というのは、単に教育機会がすべての成人に開かれている社会つまり教育制度が発達している社会というよりも、そこに生きていることによって知らず知らずのうちに人間としての学習が行われるような社会である。ハッチンスは、ただ万人に教育機会を提供することは「末梢的な努力」であるとさえ断じている。

かれが真の学習社会としてあげているのは古代ギリシアがその中心地アテネに形成した都市国家である。現代の水準からみればアテナイ人は無学であった。高度に組織化された教育課程と近代的な建物はかれらには未知のものであった。かれらは教育制度といったものはほとんど持っていなかった。しかし、かれらは人間の教育者であった。アテナイでは教育は、特定の時間、特定の場所で生涯の特定の時期に行われる隔離された活動ではなく、社会の目的であった。都市が人間を教育した。アテナイ人はパイディア、すなわち文化によって教育された。これがハッチンスのいう学習社会である。かれはまた「すべての成人男女に、いつでも定時制の成人教育を提供するだけでなく、学習、達成、人間的になることを目的とし、あらゆる制度がその目的の実現を志向するように価値の転換に成功した社会」が学習社会だとも述べている。

前述のような社会像に照らしたとき、昨今のわが国の生涯学習の発展状況は、手放しで喜んでよいのだろうか。確かに、国民の生涯学習は活発になっている。教育制度も徐々にではあるが、社会人に開かれつつある。しかし、ハッチンスのいうように、われわれは文化によって教育されているであろうか。価値の転換に成功しているといえるであろうか。

しかし、わが国にも、学習社会といえる時代があった。江戸時代である。司馬遼太郎が、『「昭和」という国家』(NHKブックス)において、「江戸時代二百七十年間が一種の学校―文明の学校と規定してもいいですね」と語っているように、江戸時代の人々は、武士だけでなく庶民も――というより庶民こそというべきであろうが――江戸時代の文明・文化によって刺激され学習をしていたのである。現代に比べれば、教育制度の普及の程度は低かったかもしれないが、人々は生活のなかで教養とでもいうべきものを身につけていた。江戸中期ごろから、農民が和算を道楽のようにして学び競いあったというのも、その一つといえるであろう。

江戸時代といっても、時期により、また地域(藩)により、違いがあるとしても、全体としてみると、それは学習社会だったといえるような気がする。司馬遼太郎は、日露戦争あたりから偏差値体制が始まったといっているが、21世紀のわが国を、ただ教育の制度化が進んだ生涯学習社会ではなく、文化の力で教育・学習が行われるような真の学習社会にしていくためには、あらためて江戸時代を振り返ってみることも重要ではあるまいか。