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ゆとりの学び ゆとりの文化 -21世紀の学習文化- 新井郁男

平成10年から12年まで新潟日報に「ゆとりの文化」というテーマで連載した小文と、平成5年から平成12年まで野外文化研究所の機関紙に「『持つ』文化と『ある』文化」というテーマで連載した小文を、平成13年にエッセー集としてまとめて、『ゆとりの学び、ゆとりの文化―21世紀の学習社会―』というタイトルで教育出版から発行しました。今回のこのシリーズは、そのなかから現下の教育改革、教育課程改革と関連のあるものをピックアップしていきたいと思います。出版後、新たな改革が進められつつありますが、筆者の考え方は特に変わっていませんので、特に変更などをしないで掲載いたします。現下の改革などに照らしながらお読みください。ご興味のあるかたは著書もお読みいただければ幸いです。

【著者紹介】
新井郁男(あらい いくお)

1935年長野県生まれ。1959年東京大学教育学部卒。文部省(現文科省)、国立教育 研究所、東京工業大学、上越教育大学、愛知学院大学、放送大学などで教授などを歴任。 現在は、上越教育大学名誉教授、星槎大学特任教授。

 
 

第16回

楽しみ

生きがいの源泉として追求

最近、地域における生涯学習への取り組みが盛んになっているが、そのキャッチフレーズに「楽習」ということばが使われていることが多い。学習は楽しくなくてはならないということをあらわしているのである。第9回に「カリキュラム」の表題で、わが国では、学ぶことが「苦痛をともなう労働」、「無理をすること」だと考えられていたのではないかということを書いたが、生涯学習の学習は、無理にだれかから強いられて行うのではなく、一人ひとりが主体的・自主的に行うべきものだといわれている。右のキャッチフレーズはこのことを端的に表現している。

しかし、楽しいといっても、その源泉はいろいろあるであろう。社会学者のチハイ・チクセントミハイ(以下、ミハイと略称する)は『不安と倦怠を越えて』(Beyond Boredom and Anxiety 今村浩明の最初の翻訳では『楽しみの社会学――不安と倦怠を越えて』思想社)において楽しさには次のような八つの場合があることを明らかにしている。

1.それを経験することや技能を用いることの楽しさ
2.活動それ自体――活動の型、その行為、その活動が生み出す世界
3.個人的技能の発達
4.友情、交友
5.競争、他者と自分との比較
6.自己の理想の追求
7.情緒的解放
8.権威、尊敬、人気

ミハイは、ロック・クライミング、作曲、モダン・ダンス、チェス、バスケットボールなどの分野で活躍する人々 173 人を対象にして調査した結果、前掲のようなことをみいだしたのである。何がもっとも楽しいかは分野によって同じではないが、平均すると、活動が楽しい理由の順位は前に列挙したようになるという。すなわち、「それを経験することや技能を用いることの楽しさ」が最上位の楽しさであり、「権威、尊敬、人気」が最下位の楽しさだということである。

ミハイは1と2は内発的理由、他の六つは外発的理由だといっているが、前者は「ある楽しさ」、後者は「持つ楽しさ」というふうにいうことができるであろう。

現代社会は、金銭、権力、名声、快楽の追求といった「持つ」文化によって支配されている。しかし、ミハイも指摘しているように、このような社会においても(このような社会だからこそ、というべきかもしれないが)、これらの価値のすべてを犠牲にして、「ある楽しさ」を追求している人々が存在するということは注目すべきことである

楽しさを追求することなど無益さらには好ましくないと考える者もいることであろう。ある生涯学習に関する会議で、学習は楽しくなければならないという考えが出され、大方の人々はそれに頷いていたところ、学習はつらくて厳しいものだということを強調すべきだという反論が出されたことがあるが、このことは楽しさの追求を悪だと考える人がいるということを物語っている。

また、心理学者のなかには、直接には満たしえない現実の欲求の、昇華による充足と説明する者もいることであろう。しかし、かつてアメリカで社会的要請の高い科学技術分野の学生に対する奨学金の額を高くして、その分野に優秀な学生を集めることを目的とした政策がとられたことがあるが、この政策は期待されるような成果をあげることができなかった。

このことは人間にとって、楽しさ、特に、「ある楽しさ」がいかに重要であるかを意味している。しかし、われわれの行った「生きがい」に関する調査では、「他者に貢献している」という実感が「生きがいの源泉」であることがわかった。「ある楽しさ」をこのような「生きがい感」に高めるということが、社会的には重要であろう。