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ゆとりの学び ゆとりの文化 -21世紀の学習文化- 新井郁男

平成10年から12年まで新潟日報に「ゆとりの文化」というテーマで連載した小文と、平成5年から平成12年まで野外文化研究所の機関紙に「『持つ』文化と『ある』文化」というテーマで連載した小文を、平成13年にエッセー集としてまとめて、『ゆとりの学び、ゆとりの文化―21世紀の学習社会―』というタイトルで教育出版から発行しました。今回のこのシリーズは、そのなかから現下の教育改革、教育課程改革と関連のあるものをピックアップしていきたいと思います。出版後、新たな改革が進められつつありますが、筆者の考え方は特に変わっていませんので、特に変更などをしないで掲載いたします。現下の改革などに照らしながらお読みください。ご興味のあるかたは著書もお読みいただければ幸いです。

【著者紹介】
新井郁男(あらい いくお)

1935年長野県生まれ。1959年東京大学教育学部卒。文部省(現文科省)、国立教育 研究所、東京工業大学、上越教育大学、愛知学院大学、放送大学などで教授などを歴任。 現在は、上越教育大学名誉教授、星槎大学特任教授。

 
 

第18回

スクール・クラウン

心和ます行為の詩人

子どものころ、近くにサーカスが来ると、多少遠方でも必ずといっていいほど小遣いをはたいて、あるいは親にせびって見に行ったものである。しかし、昨今はかつてのようなサーカスはわが国では全く下火になってしまった。フランスでは、人口7,000 万人くらいの全土に100 以上のサーカス学校があり、大小あわせて30 以上のプロのサーカス団が活動しているというが、日本では現在、わずか3つのサーカスが活動を続けているだけだという。

 

集まる広場を

ポール・ギャルコの小説『愛のサーカス』(1963 年)のなかに不入りに悩むサーカスの団長が「テレビのアンテナだ! まるでアンテナの林だ。どの家にもアンテナは1本ある。そこには人がみんないる」と叫ぶシーンが出てくる。多かれ少なかれ、どこの国でもテレビという新しいメディアの登場とともに、近代の都市文化の繁栄に歩調を合わせて成長してきたサーカスにかげりがみえていることは否定できないであろう。

しかし、サーカスを設営する広場がなくなってしまったということにも一半の原因があるであろう。広場といえば駅前広場が多かったように思うが、その駅前広場がいまでは人々が集まる空間ではなく、タクシーに乗って立ち去る空間に変貌してしまっている。夏など一時的には、駅前が盆踊りの広場となることはあっても、日常的には駅前はタクシー広場となっているのである。

もっとも元来、日本では広場は発達しなかったともいえる。ヨーロッパに行くと町の随所に噴水を囲んだ広場があり、多くの人々が集いくつろぐ姿がみられるが、こうした広場は、イタリアやフランスなどでは、豪族の支配から逃げ出した民衆が集まるためにつくったのが起源である。

ところが日本の場合には、井上ひさしが、宮沢賢治を主人公にした『イーハトーブの劇列車』という芝居のなかで書いているように、幕藩体制のもとでは、広場のようなものをつくると農民が一揆を起こす危険があるのでつくらせなかったということなどが、広場がわが国で発達しなかった原因でもあろう。これからは年齢、職業などを超えて、気軽に集まり、充実した時を過ごせるような「ゆとりの空間」を創造したいものである。集める広場ではなく集まる広場を、である。

教え子の中国人留学生に中国・大連の夜の町を案内してもらったおり、中山広場と呼ばれる、東京の日比谷公園よりも広い公共広場が、流される音楽にあわせて、小さな子どもから高齢者までがダンスに興ずる演舞場と化していることに感激した。

小学校1年生くらいと思われる少年が少女を誘って、プロはだしに演じたり、お年寄りの女性が一人でゆったりと踊っている姿がいまでも脳裏に焼きついている。

 

学校にもクラウンを

話を戻すが、サーカスというとアクロバティックな技よりもクラウンの演技に感動したものである。これは民衆を支配する国王や王冠などを意味するクラウン(crown)のことではない。笑いと涙を秘めた身体全体で人々の心を魅了するクラウン(clown)である。

すなわち、道化師=ピエロのことである。

軽業師的な技は、いまでは体操、サッカー、アイススケートなどさまざまなスポーツの世界でみることができる。しかし、ユーモラスな身体の動きで、無言のうちに、人々の張り詰めた緊張を解いてくれるあのクラウンの演技はサーカスでなければみることができない。

ヘンリー・ミラーは、道化役者は行為における詩人であるといった。ことばによる詩は、その言語を解さない者には何も与えないが、行為による詩は、言語・文化を超えて人々の心をとらえることができる。

そういうクラウンが学校にいたらいいなあと思う。スクール・カウンセラーの養成・確保が教育界で喧伝されているが、スクール・クラウンも必要なのではないだろうか。