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ゆとりの学び ゆとりの文化 -21世紀の学習文化- 新井郁男

平成10年から12年まで新潟日報に「ゆとりの文化」というテーマで連載した小文と、平成5年から平成12年まで野外文化研究所の機関紙に「『持つ』文化と『ある』文化」というテーマで連載した小文を、平成13年にエッセー集としてまとめて、『ゆとりの学び、ゆとりの文化―21世紀の学習社会―』というタイトルで教育出版から発行しました。今回のこのシリーズは、そのなかから現下の教育改革、教育課程改革と関連のあるものをピックアップしていきたいと思います。出版後、新たな改革が進められつつありますが、筆者の考え方は特に変わっていませんので、特に変更などをしないで掲載いたします。現下の改革などに照らしながらお読みください。ご興味のあるかたは著書もお読みいただければ幸いです。

【著者紹介】
新井郁男(あらい いくお)

1935年長野県生まれ。1959年東京大学教育学部卒。文部省(現文科省)、国立教育 研究所、東京工業大学、上越教育大学、愛知学院大学、放送大学などで教授などを歴任。 現在は、上越教育大学名誉教授、星槎大学特任教授。

 
 

第26回

稀有な才能

普通の人にも可能性

中央教育審議会は平成9年6月に発表した「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の第2次答申で、「教育上の例外措置」という注目すべき提言を行った。

これは理科系の特別に優秀な者に、高校2年から大学に進学できる道を開こうという提言で、さっそく千葉大学が実施して注目されたが、あらためてこの措置について考えてみたい。

中教審は優秀な者を「稀有な才能を有する」といっている。これは「天賦の才を持つ者であり、驚くような斬新な発想や独創的な考え方を提起するなど、一分野で突出した才能を保持し、早い時期に専門家から適切な指導を受けることが望まれる者で、将来、学問の新しいフロンティアを開拓する可能性を持つ者」と説明されている。

 

天賦の才とは

言葉尻をとらえるつもりではないが、「天賦の才」というのであるから、教育によって育てられた能力ではなく、生まれつきの能力ということであろう。答申は、このような能力は知性の面だけでなく、感性や体力など、多分野において開花し、発揮されていくもので、比較的早い段階で発見され、開花していくものもあれば、遅咲きのもの、なかなか発見しにくいものもある、と述べている。また、稀有な才能を発見し、その才能を伸ばしていくことが、学校教育という場がふさわしいものもあれば、学校教育以外の場がふさわしいものもあるとも述べている。

比較的発見しやすく、比較的早い段階で伸びる分野として、数学、物理、芸術、スポーツがあげられている。しかし、芸術やスポーツの分野については、学校教育の場以外においても、才能を伸ばし、活躍できる場があり、また、実際に、かなり早い段階でその才能が発見され、伸ばされている分野であり、大学と高等学校との接続が、その才能の伸長を図る上で必ずしも大きな問題となっているわけではない、という理由で、各学校の判断で、科目の履修の仕方などで特別な配慮ができるように、教育課程上の弾力的運用を図っていくべきで、特別な措置はとらないことが適当であると考えられた。

一方、数学と物理の分野は、学校教育以外で稀有な才能を伸ばすことは困難であり、学校教育と関連を持ちながら、才能を伸ばす必要がある分野であり、これらの分野にとって高校から大学にかけての時期は、その才能の萌芽をみいだし、その芽を伸ばしていくことができる貴重な時期であるということから「例外措置」の対象とされることになったのである。

 

才能はペーパー・テストで測れるか

ところで、このような提言の背景には、有名進学校の高校生(2年生が中心)に放送大学の数学、物理の科目を早期履修してもらい、試験の結果を放送大学生と比較したところ、高校生の成績が大学生の成績をかなり上回ったという実験結果があるが、問題としたいのは、答申が述べているような「稀有な才能」がこのようなペーパー・テストで測れるだろうかということである。

トマス・W・ウェストが『天才たちは学校がきらいだった』(久志本克己訳、講談社。原文表題は In The Mind's Eye)において述べているように、「稀有な才能」の持ち主の多くは、視覚思考に頼っているために、話す能力や読み書き、計算、記憶などの点で他の生徒より劣っていることが多い。高度の数学的才能の持ち主が、簡単な算数ができないという場合すらある。ウェストによれば、創造的な人間には失読症が多い。失読症の人は、普通の脳にはまれな洞察力、直感力、その他非凡な能力を備えていることがあるというのである。

真に偉大な発明家、数学者、科学者になる大きな可能性を持つ者は、ペーパー・テストで優秀な成績を示す者よりも、車の修理工や、芸術学校に通っている者や、トラックの運転手や、中小企業で日夜創意工夫に専念している技術者や、コンピュータ・アニメのグラフィック・デザイナーや、会社や政府の窓際でひっそりと仕事をしている人々などのなかにみつかるかもしれないのである。「ゆとり」ある能力評価を社会や教育に期待する。