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ゆとりの学び ゆとりの文化 -21世紀の学習文化- 新井郁男

平成10年から12年まで新潟日報に「ゆとりの文化」というテーマで連載した小文と、平成5年から平成12年まで野外文化研究所の機関紙に「『持つ』文化と『ある』文化」というテーマで連載した小文を、平成13年にエッセー集としてまとめて、『ゆとりの学び、ゆとりの文化―21世紀の学習社会―』というタイトルで教育出版から発行しました。今回のこのシリーズは、そのなかから現下の教育改革、教育課程改革と関連のあるものをピックアップしていきたいと思います。出版後、新たな改革が進められつつありますが、筆者の考え方は特に変わっていませんので、特に変更などをしないで掲載いたします。現下の改革などに照らしながらお読みください。ご興味のあるかたは著書もお読みいただければ幸いです。

【著者紹介】
新井郁男(あらい いくお)

1935年長野県生まれ。1959年東京大学教育学部卒。文部省(現文科省)、国立教育 研究所、東京工業大学、上越教育大学、愛知学院大学、放送大学などで教授などを歴任。 現在は、上越教育大学名誉教授、星槎大学特任教授。

 
 

第28回

環 境

清貧の生きかたに目を向ける

数年前、現在勤務している大学が所在する地域で、水源地に近いところにゴルフ場を建設するという計画が登場した。わたしは市がそれに呼応して設置した環境評価会議の主宰者という立場にたつことになった。市内では水資源保護運動の観点から反対が起きていたので、なかなかむずかしい立場であった。

幸いなことに、運動のなりゆきをみた業者が計画を中止して事は決着したのであるが、わたし自身のなかでは問題はまだ決着したようには思われない。

かつて自分が住むマンションの真前にマンションが建つということになり、その反対運動の副会長をしたことがあるが、環境問題における争いは、つねに自己中心的・利己的であるということを痛感せざるをえない。近くにゴルフ場ができることは、ゴルフ愛好家にとっては環境の改善を意味するであろうし、高層マンションの建設も、そこに住む希望のある人は環境の改善と考えることであろう。このような場合には、現実的な解決は、自己と他者の間で妥協点をみいだすことによって行われる。

しかし、問題が地球全体となると事態は複雑である。他者は人ではなく自然環境であり、その破壊の影響は自らにもふりかかってくる。

ガイア仮説(Gaia Hypothesis)という説がある。イギリスのJ・E・ラヴロックという学者が提唱している説だそうである。ガイアというのはギリシア神話に登場する神で、大気水土を創造し、多くの神々を産んだ多産の女神であるが、地球はこの神の力で、太古の昔から、変化に対応する能力をそなえている。すなわち、ガイアは地球上の一生物種である人間が、自然の恵みを大事にすれば、それに報いるが、濫用すれば、それに復讐することによって自然を破壊から守るコントロールの力を持っているというのである。

しかし、昨今の環境悪化の状況をみるとき、そのようなコントロールの力を持った神の存在は疑わざるをえない。神のみえざる手に環境保護をゆだねておくわけにはゆかないのではないと思う。われわれ人間自身が環境の変化を問題だと認識し、それをくいとめる努力をしなくてはならないのではないかと思う。

最近、環境問題に関連してSDということばをよく耳にする。これはSustainable Developmentの略で、「持続可能な開発」という意味である。1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議で採択された27項目よりなる宣言のなかに10か所以上に使われている。それに20年先立つ1972年にストックホルムで国連が開いた会議は人間環境会議であったが、リオデジャネイロの会議は環境開発会議であった。開発をすべて悪と断ずるのではなく、すなわち、いかに妥協すべきかを神にまかせるのではなく、人間が考えていかなくてはならないという認識が高まってきたということであろう。SDというのは、自然環境、すなわち生態系を保全できるような経済・社会開発ということである。

人間はこれまで自然を「持つ」対象と考え、それを科学技術の許すかぎり手を加えてきた。その結果、自然はその「ある」ままの状態を持続させることができるかどうか危ぶまれている。どうしたらよいだろう。電気や車のない社会にもどることはできない。神ガイアが自らコントロールできる程度まで、開発をペース・ダウンすべく、人間が努力をしなくてはならないということではないだろうか。良寛の、

生涯 身を立つるに懶(ものう)く
騰々(とうとう) 天真に任(まか)す
嚢中(のうちゅう) 三升の米
炉辺(ろへん) 一束(いっそく)の薪(たきぎ)
誰か問わん 迷悟(めいご)の跡(あと)
何ぞしらん 名利(みょうり)の塵(ちり)
夜雨 草庵の裡(うち)
雙脚(そうきゃく) 等閑(とうかん)に伸ばす

という心境にはなかなかなれるものではないが、やはり清貧の生きかたにわれわれは目を向けるべきであろう。