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ゆとりの学び ゆとりの文化 -21世紀の学習文化- 新井郁男

平成10年から12年まで新潟日報に「ゆとりの文化」というテーマで連載した小文と、平成5年から平成12年まで野外文化研究所の機関紙に「『持つ』文化と『ある』文化」というテーマで連載した小文を、平成13年にエッセー集としてまとめて、『ゆとりの学び、ゆとりの文化―21世紀の学習社会―』というタイトルで教育出版から発行しました。今回のこのシリーズは、そのなかから現下の教育改革、教育課程改革と関連のあるものをピックアップしていきたいと思います。出版後、新たな改革が進められつつありますが、筆者の考え方は特に変わっていませんので、特に変更などをしないで掲載いたします。現下の改革などに照らしながらお読みください。ご興味のあるかたは著書もお読みいただければ幸いです。

【著者紹介】
新井郁男(あらい いくお)

1935年長野県生まれ。1959年東京大学教育学部卒。文部省(現文科省)、国立教育 研究所、東京工業大学、上越教育大学、愛知学院大学、放送大学などで教授などを歴任。 現在は、上越教育大学名誉教授、星槎大学特任教授。

 
 

第38回

さかごま

子どもの創造性を再発見

小学校1年になる孫(男の子)と週末を山の小宅で一緒に過ごしたときのことである。台所に転がっていた酒の一升びんの蓋をみつけてきて(そんなにたくさん転がっていたわけではありません)、これで遊ぼうというのである。

酒飲みごっこでもするのかと、ハッとしたのであるが、そうではなかった。独楽(こま)遊びをしようというのである。ホッとして早速独楽遊びにつきあった。普段から友達と相当やっているのであろう。なかなか上手でかなわなかった。

 

酒びんの蓋の独楽転用

酒びんの蓋の独楽は「さかごま」というのだと孫は教えてくれた。孫は、なぜ「さけごま」といわないで、「さかごま」っていうのだろうね、と尋ねてきたが、うまく答えられなかった。そのことをいまだに悔いているが、この遊びは当世の小学生の間ではやっているのだろうか。たまたま、孫の友達の父親に酒飲み(これは「さか飲み」ではなく「さけ飲み」)が多くて、局所的にはやっているのだろうか。

それはともかく、子どもが酒びんの蓋をおもちゃにして遊ぶということを知って、うれしくなった。それは酒のびんだからというのではない。おもちゃとして作られ売られているものではないもので遊んでいるからである。

おもちゃということばは、「持ち遊び」から転訛し、それに接頭語の「お」がついたものだといわれる。したがって、おもちゃは元来手に持って遊ぶ道具ということであるが、子どもたちは、そのような道具として、大昔から、木、草、石などの自然物を利用したり、生活用具をおもちゃに転用したりしてきた。また、子ども自身が工夫したり加工したりしておもちゃを自作してきた。

 

おもちゃの製品化

しかし、次第におもちゃはおとなによって製品として作られ、市販されるようになっていった。だんだん子ども自身が創意工夫をこらす部分が少なくなってきた。また、おとなから与えられるおもちゃが多くなってきた。

このような状況は、子どもたちの創造性や手足の巧緻性を養う上でマイナスではないかと思っていたので、最近の子どもでも、おもちゃでないものをおもちゃに転用する創造性があるのだということを発見し、うれしくなったのであった。孫は市販のゲームのとりこにもなっていたので、それだけではないことがわかって安堵したというところもある。

おもちゃ産業の発達によって、高価で複雑なおもちゃが氾濫するようになったが、子どもたち自身が自然のなかからおもちゃの素材を発見したり、生活用具をおもちゃに転用したりすることが活発になることを期待する。

おとなとしては、子どもが、おもちゃとの関係において、主体的で創造的でありうるような「ゆとり」のある遊び環境をつくらなくてはならないと思う。