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ゆとりの学び ゆとりの文化 -21世紀の学習文化- 新井郁男

平成10年から12年まで新潟日報に「ゆとりの文化」というテーマで連載した小文と、平成5年から平成12年まで野外文化研究所の機関紙に「『持つ』文化と『ある』文化」というテーマで連載した小文を、平成13年にエッセー集としてまとめて、『ゆとりの学び、ゆとりの文化―21世紀の学習社会―』というタイトルで教育出版から発行しました。今回のこのシリーズは、そのなかから現下の教育改革、教育課程改革と関連のあるものをピックアップしていきたいと思います。出版後、新たな改革が進められつつありますが、筆者の考え方は特に変わっていませんので、特に変更などをしないで掲載いたします。現下の改革などに照らしながらお読みください。ご興味のあるかたは著書もお読みいただければ幸いです。

【著者紹介】
新井郁男(あらい いくお)

1935年長野県生まれ。1959年東京大学教育学部卒。文部省(現文科省)、国立教育 研究所、東京工業大学、上越教育大学、愛知学院大学、放送大学などで教授などを歴任。 現在は、上越教育大学名誉教授、星槎大学特任教授。

 
 

第42回

役 割

他者への貢献と生きがい感

もうだいぶ以前のことになるが、現代の子どもの行動の特徴を明らかにするための調査が東京都で行われたことがある。筆者もその一員として参加したのであるが、調査はアンケート方式によるものではなく、学校の先生がたに、子どもたちに特徴的だと思われる行動に遭遇したら、ただちにあらかじめ用意しておいたメモ用紙に記録してもらい、それを集めて考察するという方法で行われた。

そうして集めた子どもの行動事例のなかで、いまでも印象に残っているものに、こんなものがある。教室のなかで、一人の児童が別の児童に向かって、「おーい日直、黒板が拭いてないよ」と叫ぶ場面である。学級のなかにはいろいろな当番や係がある。日直とはそのような当番の一つで、黒板を拭くことは日直の役割であったのであろう。その日直が果たすべき役割を果たしていないことに気がついた児童が日直にそのことを咎めだてしている場面である。

右のような子どもの行動が教師によって記録されたのは、やはりそれが問題だと考えられたからであろう。なぜ問題なのか。役割はそれを課されている当番や係が遂行すべきことで、当番や係以外の人間はいっさいそれにかかわらなくてよいという子どもたちの意識や態度が問題だと考えられたのである。

しかし、よく考えてみると、こうした行動パターンは、子どもにだけみられる特徴ではない。現代人一般にみられる特徴である。現代社会においては、一つの仕事を一人の人間が単独で最初から最後まで遂行するということはない。分業が現代社会における重要な特徴である。社会全体が政治とか経済という大きな分野に分かれており、さらにそれぞれの分野において、さまざまな組織がそれぞれ役割を果たすことが期待され、各組織は内部的に分業体制がしかれている。こうした特徴をとらえて、われわれは近代化などと呼ぶことがあるが、この近代化過程のなかで、われわれはいつの間にか、役割を任されている人間にだけ責任を押しつけ、自分は知らん顔をする習性を身につけてしまった。政治は政治家の役割で、国の経済状態が悪いのは政治家だけの責任だという国民一般にみられる感覚はそのことを象徴するものであろう。

現代社会の組織は、地位とのセットで役割が決められているところに特徴がある。たとえ優れた能力を持っていても、課長の職を離れたら課長としての役割からも離れることになる。

しかし、ここでわれわれが考えなくてはならないことは、地位とのセットだけで役割を考えてよいか、ということである。地位と対応する役割は自分が就いている地位の数が多ければ、それに応じて多くなる。地位をしりぞけば、その地位とセットになっている役割からもしりぞかなくてはならない。このような役割は地位の体系に応じて総量が決まっている。ある人の役割が増えれば他の人の役割はその分だけ少なくなる。この意味で、地位とセットになった役割は「持つ」役割である。

このような役割も現代社会においては重要であると認めなくてはなるまい。しかし、いまわれわれに求められていることは、地位とセットになった役割ではなく、自らの存在において、他者や社会に貢献できる役割、すなわち「ある」役割の重要性を自覚することであろう。他者の役にたつといった役割は他から与えられるものではなく、自らがつくり出すべきもので、総量に制限はない。ある人が親切な行動をしたら、その分だけ自分がしなければならない親切が少なくなるわけではない。

われわれが定年退職者を対象に行った生きがいに関する調査によると、「ある」役割を果たしていると自覚している人の生きがい感はそうでない人に較べて高くなっている。「ある」役割をだれもが果たせるような役割分担社会―ロール・シェアリング・ソサエティ―を形成したいものである。