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行政からみた戦後教育史 菱村幸彦
菱村幸彦

【PROFILE】
菱村幸彦(ひしむらゆきひこ)
京都大学法学部卒。文部省に入り、教科書検定課長、高校教育課長、総務審議官、初等中等教育局長、国立教育研究所長、公立学校共済組合理事長、駒場東邦中・高等学校長などを歴任。
現在、国立教育政策研究所名誉所員、一般社団法人日本図書教材協会会長。
〔著書〕『やさしい教育法規の読み方』(教育開発研究所), 『はじめて学ぶ教育法規』(同上), 『教育の窓・法律の窓』(小学館), 『戦後高校教育史』(学事出版), 『私のリーダー論』(日本教育新聞社), 『私の校長学』(学事出版), 『戦後教育はなぜ紛糾したか』(教育開発研究所)など多数。

 

この連載は、ジアース教育新社刊「文部科学 教育通信」に2017年8月より連載されているシリーズを転載しています。

第8回

経験主義から系統主義への転換 <下>

独立後の社会科教育の見直し

昭和27年に対日平和条約が発効し、わが国は独立した。ようやくGHQの制約なしに、独自の教育政策が立てられるようになった。そこで、独立後の最初の教育政策の見直しとして、文部省は、社会科教育の在り方について、教育課程審議会に諮問した。

同審議会答申(平成28年)は「社会科の指導は学校によっては必ずしもうまく行っていない点がある。たとえば、児童生徒が地理や歴史について極めてあたり前の事実を知らなかったり、雑然とした物知りになるにすぎなかったり、教師はその指導において児童生徒の自主的活動を重んずべき意味をとり違えて形式に流れている」と指摘し、地理や歴史について系統だった知識や理解が身に付くようにすべきと提言した。答申を受け、文部省は昭和30年に社会科の指導要領を改定した。改訂のポイントは、①小学校社会科では地理と歴史の指導内容を強化する、②中学校社会科では指導内容を地理的分野、歴史的分野、政治・経済・社会的分野に分けて提示する――であった。つまり、社会科教育について、経験学習から系統学習に方向転換を図ったわけである。これは戦後教育の重要なターニング・ポイントとなった。

この改革について、初期社会科を重要視する人々は、「社会科解体の危機」として、激しく反発した。とくに日本生活教育連盟(旧コア・カリキュラム連盟)、教育科学研究会、歴史教育者協議会などの教育団体は連合して、「社会科改悪、社会科解体は容認できない」と繰り返し反対声明を出した。

 

系統主義カリキュラムへの転換

戦後教育の見直しは、社会科だけにとどまらなかった。他教科についても知識や技術の基礎・基本を系統的にしっかり教えるべきという系統主義教育の要請が高まったのだ。文部省は、昭和33年に指導要領を全面改訂し、全教科にわたって、系統主義を重視するカリキュラム政策に転換した。

 

昭和33年版指導要領の改訂のポイントは、次のとおりである。

(1) 道徳教育を徹底するため、新たに「道徳の時間」を設ける。

(2) 基礎学力を充実するため、小学校の国語と算数の内容を充実し、授業時数を増やす。

(3) 地理・歴史教育について小・中学校を通じて、系統的な学習を重視し、内容の充実を図る。

(4) 科学技術教育の向上を図るため、小・中学校の理科の内容を充実し、特に中学校では数学、理科の授業時数を増やし、新たに技術・家庭科を設ける。

(5)指導要領を告示の形式で定める。

 

このときの改訂で、特に問題となったのは、「道徳の時間」の特設と指導要領の告示化である。特設道徳については、改めて取り上げるので、ここでは「告示化」について見ておこう。

昭和22年に公表された最初の指導要領は、GHQのCIE(民間情報教育局)の担当官から渡されたアメリカのバージニア州やカリフォルニア州の「コース・オブ・スタディ」を参考にして、きわめて短期間で作成された。このため「暫定的(tentative)」という意味で「試案」と表示され、一般出版物として刊行された。

このときの指導要領は、各教科ごとに別冊となっており、各教科とも目標・内容のほか、学習活動例、指導法、評価法まで含めて示されていたため、全体を合わせると3千ページに及ぶ大部な指導要領だった。

それを昭和33年改訂の指導要領では、全教科を一冊にまとめ、指導法や評価法は省き、目標や内容も大幅に精選し、国家基準として必要最小限の基準に絞り込んだ。分量も従前の約10分の1となっている。その上で、指導要領を「告示」として公示し、法的基準性を明確にしたわけである。

指導要領改訂の翌年(昭和34年)に私は文部省に入省した。最初に配属になったのは初等中等教育局で、改訂指導要領の趣旨徹底を行っている最中だった。その趣旨徹底が大変だった。というのは、日教組が指導要領の改訂を「戦前回帰の逆コース」として、「総抵抗」をスローガンに反対闘争を展開したからである。文部省主催の講習会場に日教組がピケを張って、受講者の入場を阻止したため、警察を導入して妨害を排除するなどの事件も起きた。今では想像できないが、そんな時代があったのだ。

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