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行政からみた戦後教育史 菱村幸彦
菱村幸彦

【PROFILE】
菱村幸彦(ひしむらゆきひこ)
京都大学法学部卒。文部省に入り、教科書検定課長、高校教育課長、総務審議官、初等中等教育局長、国立教育研究所長、公立学校共済組合理事長、駒場東邦中・高等学校長などを歴任。
現在、国立教育政策研究所名誉所員、一般社団法人日本図書教材協会会長。
〔著書〕『やさしい教育法規の読み方』(教育開発研究所), 『はじめて学ぶ教育法規』(同上), 『教育の窓・法律の窓』(小学館), 『戦後高校教育史』(学事出版), 『私のリーダー論』(日本教育新聞社), 『私の校長学』(学事出版), 『戦後教育はなぜ紛糾したか』(教育開発研究所)など多数。

 

この連載は、ジアース教育新社刊「文部科学 教育通信」に2017年8月より連載されているシリーズを転載しています。

第10回

詰め込み批判から「ゆとり」批判へ <下>

学校5日制に対応した教育課程

平成に入って、社会の週休2日制の普及に伴い、学校5日制が喫緊の課題となった。文科省は、平成4年から学校5日制の段階的実施に踏み切り、平成14年から完全5日制とする方針を決めた。となると、学校5日制に対応する指導要領が必要となる。そこで、平成10年に学校5日制に対応する指導要領の改訂が行われた。

このときの改定のポイントは、(1) 高度な教育内容の削減や上位学年への移行等により、教育内容の厳選を図る、(2) 授業時数を年間70単位時間(週当たり2単位時間)縮減する、(3) 各学校で創意工夫を生かした教育活動が展開できるよう「総合的な学習の時間」を創設する、(4) 中学校における選択教科に充てる授業時数を拡大する――等であった。

総合学習は、児童生徒の自発的な活動を中心とする課題学習である。生活科に続いて、さらに経験主義に回帰したと言えよう。このときの改訂で授業時間を縮減し、教育内容を削減したことから、「ゆとり教育」批判が始まり、学力低下論争が高まった。

 

「ゆとり教育」批判の大合唱

「ゆとり教育」批判の口火を切ったのは、大学の理数関係の研究者だった。西村和雄教授(京大)らの著した『分数ができない大学生―21世紀の日本が危ない』(東洋経済新報社)は、「分数計算ができない」「まともな日本語が書けない」「簡単な英文が読めない」大学生が増えていることを指摘し、その原因が小・中・高校の「ゆとり教育」にあると指弾した。これに続く「ゆとり教育」批判論をメディアはセンセーショナルに取り上げ、「ゆとり教育」批判の大合唱となった。

折から国際学力調査PISAの03年と06年の調査で日本の成績が連続して下がった。これが「ゆとり教育」批判に油を注いだ。学力低下を招いた元凶が「ゆとり教育」政策に基づいて策定された平成10年版の指導要領にあるというのだ。当時、わが国の学力は「ゆとり教育」で崩壊したと弾劾する図書の刊行が相次いだ。

しかし、03年(平成15)と06年(平成18)に行われた国際学力調査で調査対象となった高校1年生は、小学校入学が平成6年と平成9年で、「ゆとり教育」の原因とされる平成10年版指導要領( 実施は平成14年度から) でなく、その前の平成元年版の指導要領で学んでいる。PISAの日本の成績は、09年(平成21) 調査から回復したが、その調査対象こそ平成10年版の指導要領で学んだ生徒だった。これを見れば、「ゆとり教育」が学力低下を招いたという批判は当たらないことが分かる。

お気づきと思うが、本稿では「ゆとり教育」というとき、常にカッコ書きで記している。これは「ゆとり教育」という言葉を文科省が公に使ったことは一度もないからである。審議会の答申では、学校教育における「ゆとり」の必要性について言及しているが、いずれも「ゆとりある学校生活」「ゆとりある教育活動」という文脈で使っている。

学力低下論者は、「ゆとり教育」という言葉で、ことさらに教育内容の削減を強調し、それが諸悪の根源と非難した。その代表例が、算数で円周率を「3・14」でなく、「3」で教えることにしたという虚報である。虚報というのは、平成10年版の指導要領でも円周率は「3・14」と明記していたからだ。

「ゆとり教育」批判は、その後ますます激しくなり、文科省としても、放置できなくなる。そこで、平成15年に指導要領の一部を改正し、指導要領の最低基準性を明確にするとともに、「確かな学力」の定着を目指す方針を明示した。これは当然のことを再確認したに過ぎなかったが、メディアは「ゆとり教育」政策の転換と報じた。政策転換の報道で、「ゆとり教育」批判は鎮静化した。

 - つづく - 

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