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行政からみた戦後教育史 菱村幸彦
菱村幸彦

【PROFILE】
菱村幸彦(ひしむらゆきひこ)
京都大学法学部卒。文部省に入り、教科書検定課長、高校教育課長、総務審議官、初等中等教育局長、国立教育研究所長、公立学校共済組合理事長、駒場東邦中・高等学校長などを歴任。
現在、国立教育政策研究所名誉所員、一般社団法人日本図書教材協会会長。
〔著書〕『やさしい教育法規の読み方』(教育開発研究所), 『はじめて学ぶ教育法規』(同上), 『教育の窓・法律の窓』(小学館), 『戦後高校教育史』(学事出版), 『私のリーダー論』(日本教育新聞社), 『私の校長学』(学事出版), 『戦後教育はなぜ紛糾したか』(教育開発研究所)など多数。

 

この連載は、ジアース教育新社刊「文部科学 教育通信」に2017年8月より連載されているシリーズを転載しています。

第13回

占領下の学制改革 <上>

時代は前後するが、第2次大戦後の6・3制発足の経緯について見ておこう。と言っても、終戦のとき、私は小学校の5年生だったから、当時の状況を行政官として体験しているわけではない。以下に述べることは、私が戦後教育で受けた実体験と文部省に入った後に先輩から聞いた話や仕事上調べた知見に基づくものである。

 

GHQによる管理政策

終戦から1か月後、昭和20年9月15日に文部省は「新日本建設ノ教育方針」を発表した。同方針は「軍国的思想および施策を払しょくし、平和国家の建設」を目標に掲げ、当面の教育方針を示した。続いて、9月20日に国定教科書の記述中、「①国防軍備等ヲ強調セル教材、②戦意昂揚ニ関スル教材、③国際ノ和親ヲ妨グル虞アル教材」に墨を塗って削除するよう全国に通知した。

これは戦後の新しい時代に則した教科書がつくられるまでの応急の措置だったが、教師の指示で教科書に墨を塗らされた世代にとっては、終戦を境に価値観が一八〇度転換した象徴的な出来事として、忘れられない記憶となっている。

墨塗り教科書に続いて、昭和20年10月から12月にかけて、GHQは、やつぎ早に四つの指令(メモランダム)を出して、教育に関する戦後処理の基本方針を指示した。四つの指令とは、「日本教育制度ニ対スル管理政策」「教員及ビ教育関係官ノ調査、除外、認可」「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止」「修身、日本歴史及ビ地理ノ停止」に関する指令である。内容は省くが、これらの指令のねらいは、いずれも軍国主義的、国家主義的な教育の排除にあった。

翌21年3月5日にマッカーサー最高司令官の要請により、アメリカから教育使節団がやって来た。教育使節団に協力するために日本側に天野貞祐、南原繁、田中耕太郎、務台理作など著名な学識経験者からなる教育家委員会が設けられた。教育使節団は、教育家委員会の協力を得て、同月30日に報告書を出した。日程を見ると、実質2 週間ほどで結論を出している。こんな短期間で一国の教育の抜本的改革の方針を示したことに驚く。

使節団報告書は、教育目的の民主化、教育課程の改革、国語の改革、教育行政の分権化などの諸改革とともに、6・3制の新しい学校体系の基本構想を提示した。GHQがこの報告書を占領下の教育の基本方針としたことにより、戦後のわが国の教育改革の方向を決定する重要文書となった。

 - つづく - 

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