ホーム>行政からみた戦後教育史

行政からみた戦後教育史 菱村幸彦
菱村幸彦

【PROFILE】
菱村幸彦(ひしむらゆきひこ)
京都大学法学部卒。文部省に入り、教科書検定課長、高校教育課長、総務審議官、初等中等教育局長、国立教育研究所長、公立学校共済組合理事長、駒場東邦中・高等学校長などを歴任。
現在、国立教育政策研究所名誉所員、一般社団法人日本図書教材協会会長。
〔著書〕『やさしい教育法規の読み方』(教育開発研究所), 『はじめて学ぶ教育法規』(同上), 『教育の窓・法律の窓』(小学館), 『戦後高校教育史』(学事出版), 『私のリーダー論』(日本教育新聞社), 『私の校長学』(学事出版), 『戦後教育はなぜ紛糾したか』(教育開発研究所)など多数。

 

この連載は、ジアース教育新社刊「文部科学 教育通信」に2017年8月より連載されているシリーズを転載しています。

第15回

教育基本法をめぐる論争的課題 <上>

戦後、教育勅語に代わって、教育の理念を定めたのは教育基本法である。その教育基本法は、平成18年の改正に至るまで戦後教育における論争的課題となった。

 

教育基本法制定の経緯

戦後教育は、昭和20年10月のGHQ指令「日本教育制度ニ対スル管理政策」および昭和21年4月の「米国教育使節団報告書」に始まるが、これらの文書に教育基本法の制定について言及はない。

教育基本法の制定が公に取り上げられたのは、昭和21年6月の帝国議会における新憲法の審議中、田中耕太郎文相が「教育根本法ともいうべきものを早急に立案して議会の協賛を得たい」と述べた答弁である。

昭和21年8月に教育に関する重要事項を調査審議するため、総理大臣の下に教育刷新委員会が設置された。同委員会に教育の基本理念に関する特別委員会が設けられ、同年12月27日に教育基本法制定の必要性とその内容となるべき理念等について建議された。

建議に基づき、政府は昭和22年3月4日に教育基本法案を閣議決定し、帝国議会に提出した。同法案は、3 月26日に可決・成立し、3 月31日に公布・施行された。

教育基本法の制定以来、同法は戦後教育を通じて論争の的となった。論点は二つある。一つは、教育基本法の教育目的に「日本の伝統と文化の継承」や「よき日本人の育成」が欠落しているという批判に基づく改正論。もう一つは、教育裁判において国の教育権を否定した「国民教育的解釈」論である。

第一の論争は、制定時から始まっている。例えば、教育基本法案要綱を審議した教育刷新委員会では、「日本国民としての矜持を十分保つような点を入れたい」(竹下豊次委員)、「国家と関連して教育の根本理念が明らかにされなければならぬ」(森戸辰男委員)、「個人の尊重はいいが、自分のために生きるのではなく、国家のために生きるとかがないと、理念とは言えない」(天野貞祐委員)などの異論が出ていた。

また、教育基本法案を審議した帝国議会では、「この案には、主として個人の完成ということに重きが置いてあって、国家社会の一員としての義務・心がけという点に触れているところが少ない」(沢田牛麿議員)、「教育基本法は、一般に良い人間というようなことについては、着眼されているが、日本人観というものは十分でない」(佐々木惣一議員)などの意見が表明された。

本法の制定に携わった西村厳氏( 当時、文部省審議課長) は、前文中に「個性ゆたかな伝統を尊重して」という一文を挿入しようとしたが、GHQの承認が得られず削除のやむなきに至ったと述べている(鈴木英一『教育行政』東大出版会)。教育基本法もGHQの承認なしには制定できなかったのだ。

ジアース教育新社
新刊
購読のお申込