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行政からみた戦後教育史 菱村幸彦
菱村幸彦

【PROFILE】
菱村幸彦(ひしむらゆきひこ)
京都大学法学部卒。文部省に入り、教科書検定課長、高校教育課長、総務審議官、初等中等教育局長、国立教育研究所長、公立学校共済組合理事長、駒場東邦中・高等学校長などを歴任。
現在、国立教育政策研究所名誉所員、一般社団法人日本図書教材協会会長。
〔著書〕『やさしい教育法規の読み方』(教育開発研究所), 『はじめて学ぶ教育法規』(同上), 『教育の窓・法律の窓』(小学館), 『戦後高校教育史』(学事出版), 『私のリーダー論』(日本教育新聞社), 『私の校長学』(学事出版), 『戦後教育はなぜ紛糾したか』(教育開発研究所)など多数。

 

この連載は、ジアース教育新社刊「文部科学 教育通信」に2017年8月より連載されているシリーズを転載しています。

第22回

地方分権改革と教育委員会 <下>

地方分権改革の中の教委改革

昭和の時代は、旧教育委員会法の公選制教委を理想化し、地方教育行政法の任命制教委を批判する動きが続いたが、1989年のベルリンの壁の崩壊に伴い、我が国でもイデオロギー的対立が崩れ、やがて55年体制は終焉した。

平成に入ると、イデオロギーとは無関係な地方分権改革のうねりが高まった。その流れの中で教育委員会制度の見直しが迫られるようになる。地方分権改革は、平成5年の衆参両院による「地方分権の推進に関する決議」に始まる。平成7年に「地方分権推進法」が制定され、各行政分野において地方分権改革の検討が進められた。その成果に基づいて、平成12年にいわゆる「地方分権一括法」が制定され、地方行政制度の改革が行われた。

このときの地方分権一括法は、国の機関委任事務を廃止し、新たに法定受託事務と自治事務に整理する大きな改革だった。これにより、国と自治体は、法律上、「上下・主従」の関係から「対等・協力」の関係に変わった。その改革の一環として、平成11年と13年に地方教育行政法が改正された。

詳細は省くが、平成11年の改正では、教育における団体自治を強化する観点から、①教育長の任命承認制の廃止、②都道府県教委の基準設定権の廃止等が行われた。また、平成13年の改正では、①教育委員の構成の多様化、②教育委員会の原則的公開等が図られた。

さらに、小泉純一郎内閣(平成13年~平成 18年)が主導した構造改革の流れの中で、総合規制改革会議や地方分権改革推進会議等において教育委員会の必要性そのものが議論の対象となり、教育委員会制度の廃止を含めた抜本的見直しが求められた。

こうした状況の中で、中教審は、教育委員会制度の在り方について再検討し、平成17年に答申「新しい時代の義務教育を創造する」を出した。答申は、教育委員会制度の在り方について、「現在の基本的な枠組みを維持しつつ、それぞれの自治体の実情にあわせた行政が執行できるよう制度をできるだけ弾力化するとともに、教育委員会の機能の強化、首長と教育委員会の連携の強化や教育委員会の役割の明確化のための改善を図ることが適当」と提言した。

続いて、中教審は、平成19年に答申「教育基本法の改正を受けて緊急に必要とされる教育制度の改正について」をまとめた。これらの答申に基づいて、平成19年に地方教育行政法が改正された。改正のポイントは、① 教育委員定数の弾力化、② 保護者委員選任の義務化、③ 首長の権限(スポーツ・文化分野)の拡充、④ 教育委員会の点検・評価、⑤文科大臣による是正要求と是正命令の新設等であった。

 

揺らいだ教育委員会への信頼

しかし、知事会や市長会は、こうした部分的手直しには満足しなかった。首長サイドからは、その後も、教育委員会について、「意思決定の迅速性に欠ける」「責任の所在が明確でない」などの批判が続いた。その批判がピークに達したのが、平成23年の大津市中学生いじめ自殺事件と平成24年の大阪市高校生体罰自殺事件の発生である。両事件の対応において、教育委員会の無責任体制や隠蔽体質が露呈し、教育委員会への信頼が失墜したのである。

折から第1次阿倍晋三内閣の下で発足した教育再生会議は、第2次提言(平成25年)で、教育行政の責任を明確化するよう教育委員会と教育長の在り方について見直しを提言した。これを受けて、中教審は、教育長を首長の補助機関とし、教育委員会を首長の付属機関とする案、つまり、教育行政の最終決定権を首長に移す案を答申した。

しかし、自民党と公明党から教育行政権を首長に移すことは、教育の政治的中立性、安定性、継続性を危うくするとして反対意見が出て、教育委員会を従来どおり執行機関として残す改革案がまとめられた。この改革案に基づいて、平成26年に地方教育行政法が改正された。

この時の改革では、まず、教育委員会の責任体制を明確にするため、従来の教育委員長と教育長を一体化して教育長(常勤)を代表者とし、教育長の任命は、議会の同意を得て、首長が任命することとした。

次に、首長と教委により構成され総合会議を設けた。同会議では、①教育大綱の策定、②教育条件の整備など重点施策の調整、③児童生徒の生命身体に被害が生ずる緊急時の措置等について協議を行うこととした。

私は、文部省在職中、島根県の教育委員会に出向して教育委員会の実務に携わった。そのときの体験からも、教育委員会制度は戦後の地方教育行政の担い手として適正な役割を果たしてきたことを確信している。

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