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行政からみた戦後教育史 菱村幸彦
菱村幸彦

【PROFILE】
菱村幸彦(ひしむらゆきひこ)
京都大学法学部卒。文部省に入り、教科書検定課長、高校教育課長、総務審議官、初等中等教育局長、国立教育研究所長、公立学校共済組合理事長、駒場東邦中・高等学校長などを歴任。
現在、国立教育政策研究所名誉所員、一般社団法人日本図書教材協会会長。
〔著書〕『やさしい教育法規の読み方』(教育開発研究所), 『はじめて学ぶ教育法規』(同上), 『教育の窓・法律の窓』(小学館), 『戦後高校教育史』(学事出版), 『私のリーダー論』(日本教育新聞社), 『私の校長学』(学事出版), 『戦後教育はなぜ紛糾したか』(教育開発研究所)など多数。

 

この連載は、ジアース教育新社刊「文部科学 教育通信」に2017年8月より連載されているシリーズを転載しています。

第25回

教員ストをめぐる争い <上>

前回、日教組と文科省の対立の歴史について述べた。そこでは書き切れなかったが、もう一つの対立項があった。それは教員のストライキである。

 

私もスト対策に奔走した

ごく最近、政治問題をやさしく解説するテレビ番組で、司会者が若い女性タレントに「ストライキって知ってますか」と聞いたところ、「それって野球と関係がありますか」と聞き返す場面を見て、今はそんな時代なのかと、改めて時代の変化を思い知らされた。

そういえば、近年はとんとストのニュースを聞かない。昭和40年代、50年代は、「春闘」の名の下にストライキ(同盟罷業)が盛んに行われた。統計を見ると、ピークは昭和49年。この年は半日以上のストが全国で5197件も起きている。それが平成27年はわずか86件。ここ10年100件を超えた年はない。

昭和40年代は、学校でも日教組の指令で一斉休暇闘争と称する教員ストが全国的に行われた。中でも昭和41年秋に人事院勧告の完全実施を求めて行われた「10・21スト」が忘れられない。というのは、その年、私は島根県教育委員会の学事課長に出向し、日教組(県教祖)と直接対峙して、スト対策に奔走したからだ。

島根県にとって、教員ストは初めての出来事だった。私は、各地区の教育事務所を通して、市町村教委と連携を取り、ストの阻止に向けて手を尽くしたが、状況は好転しない。そこで、県教委の広報誌を使って、直接、県下の教員に一斉休暇闘争の違法性を訴えることにした。

私は「ストのお値段」という一文を書き、一斉休暇闘争は違法ストであること、違法ストに参加すれば処分を免れないこと、処分を受ければ給与カット・昇給延伸・退職手当のはね返り等で総額26万円(現在の価値に換算すれば 250万円相当か)余の損失になること等を訴えた。また、一斉休暇闘争が違法である論拠として、福岡地裁判決(昭和37年12月21日)が示した「一斉休暇は、もはや実体において労働基準法に規定する有給休暇の範疇に属しないものというべく」「虚しい粉飾的行為に過ぎないと目するほかはない」などの判断を引用した(当時はまだ最高裁判決は出ていなかった)。

県教組は、学校にオルグ活動を行い、一斉休暇闘争は法律に基づく正当な行為で、違法ではないと説いて回っていた。そこに、一斉休暇闘争は違法行為と断ずる判例を示し、経済的に大きな損失を伴うことを説いたから、県教組にはダメッジが大きかった。学事課長は組合活動に不当に介入したと激しく抗議し、県教組出身の議員が県議会で問題にした。

現場で一斉休暇闘争への対応を迫られた校長は大変だった。教員が一斉に年次休暇を申請してくる。校長は子どもたちの授業を一斉に欠くような休暇は認められないと説得する。教員は年次休暇が労働者の権利であると譲らない。やむを得ず校長は職務命令で当日の出勤を指示する――そんな紛糾が夜遅くまで続いた。

 - つづく - 

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