ホーム>行政からみた戦後教育史

行政からみた戦後教育史 菱村幸彦
菱村幸彦

【PROFILE】
菱村幸彦(ひしむらゆきひこ)
京都大学法学部卒。文部省に入り、教科書検定課長、高校教育課長、総務審議官、初等中等教育局長、国立教育研究所長、公立学校共済組合理事長、駒場東邦中・高等学校長などを歴任。
現在、国立教育政策研究所名誉所員、一般社団法人日本図書教材協会会長。
〔著書〕『やさしい教育法規の読み方』(教育開発研究所), 『はじめて学ぶ教育法規』(同上), 『教育の窓・法律の窓』(小学館), 『戦後高校教育史』(学事出版), 『私のリーダー論』(日本教育新聞社), 『私の校長学』(学事出版), 『戦後教育はなぜ紛糾したか』(教育開発研究所)など多数。

 

この連載は、ジアース教育新社刊「文部科学 教育通信」に2017年8月より連載されているシリーズを転載しています。

第26回

教員ストをめぐる争い <下>

 

人事委員会のマンモス審理

教育委員会の担当者や校長の懸命の努力で、島根県のスト参加者は全教員の1割にとどまった。県教委は、ストに参加した教員約 700名に対して戒告処分を行った。数字を持ち合わせていないが、このときの全国のストの処分者は数万人に上ったはずである。

懲戒処分に対して、日教組は人事委員会に不利益処分の不服申し立てを行う方針をとった。それも個々の教員の審理ではなく、処分を受けた全員を一括併合する審理を要求し、いわゆるマンモス審理となった。

熊本県では2千人の併合審査が平日に行なわれた。2千人もの教員が一斉に学校を離れるわけだから、学校の授業に穴があき、学校の正常な運営が阻害される。それに2千人にも及ぶ大集団の併合審理では、静謐な審理はできない。人事委員会の審理は、不服申し立てという名の集団闘争の場と化した。

自治省(当時)は、熊本県の人事委員会に対し、「2千人を超える膨大な教職員の不服申立について一括して併合審理を行なったことは、公平審理制度本来の趣旨に反する不適当なものである」とする通達を出し、それがまた国会で問題となって紛糾した。

どこの都道府県でも人事委員会の審理は長引いたが、結論は、争議行為に対する処分を適法とする判定であったことは言うまでもない。となると、今度は裁判に持ち込まれる。裁判はさらに長期にわたり、教員ストをめぐる日教組と教育委員会との争いは、果てしなく続くこととなった。

その間の組合側の出費も大変だったと思う。聞くところによると、ストによる給与カット、期末手当減額の穴埋め、昇給延伸分の補てん、退職金への跳ね返りの補償などで、日教組の経費負担は莫大になったという。教員ストは、長期にわたる消耗戦となり、組合にも当局にも大きな後遺症を残した。

 

スト禁止の合憲性を判示

公務員の争議行為は、法律で禁止されている。地方公務員法37条は、「職員は、地方公共団体の機関が代表する使用者としての住民に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をし、又は地方公共団体の機関の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおってはならない」と定めている。

なのに、なぜ、公務員組合はストライキを行ったのか。

組合側は、憲法28条で労働者の労働基本権を保障しており、公務員といえども憲法上の労働基本権はあるから、地方公務員法の争議行為の禁止規定こそ違憲だと主張した。

公務員の争議行為の禁止規定が憲法28条に違反するかどうかについては、戦後早くから法廷で争われた。下級審では判断が揺れたが、最高裁の判断は、ほぼ一貫して公務員の争議行為の禁止規定を合憲と判示している。

一時、都教組事件最高裁判決(昭和44年4月2日)が、刑事罰の適用について、消極的な判断を示したこともあったが、それもすぐに変更され、公務員の争議行為の禁止規定は、刑事罰の規定も含めて、合憲とする判断が定着した。

その代表的な判例が、全農林警職法事件最高裁判決である。昭和33年、警職法反対闘争の一環として、全農林の指導者が職員に対して半日休暇闘争を求めて説得行為を行ったことが争議行為のあおり行為に該当するとして起訴された。最高裁判決(昭和48年4月25日)は、憲法28条の労働基本権の保障は公務員にも及ぶとしながらも、公務員の労働基本権は、公共の福祉の制約を受けるから、争議行為の禁止規定は合憲と判示した。

この考えは、教員ストにも適用された。岩手県教組の役員が全国学力調査に反対し、一斉休暇闘争を指令したことが、争議行為をあおったものとして起訴された「岩教組事件」について、最高裁判決(昭和51年5月21日)は、全農林警事件最高裁判決を踏襲して、岩教組役員の行為を地方公務員法61条4号のあおり行為に該当するとして有罪とした。これで教員ストの法律論争に終止符が打たれた。

裁判所への提訴のほか、1973年に日教組はストによる懲戒処分の不当性をILO(国際労働機関)に提訴した。教員ストをめぐって、ジュネーブで日教組と文部省の攻防が行われたが、ILOの結社の自由委員会は、74年に政治ストは結社の自由の原則を逸脱するとして、日教組に反省を求める報告を出して終わった(『学制百二十年史』)。

ジアース教育新社
新刊
購読のお申込