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行政からみた戦後教育史 菱村幸彦
菱村幸彦

【PROFILE】
菱村幸彦(ひしむらゆきひこ)
京都大学法学部卒。文部省に入り、教科書検定課長、高校教育課長、総務審議官、初等中等教育局長、国立教育研究所長、公立学校共済組合理事長、駒場東邦中・高等学校長などを歴任。
現在、国立教育政策研究所名誉所員、一般社団法人日本図書教材協会会長。
〔著書〕『やさしい教育法規の読み方』(教育開発研究所), 『はじめて学ぶ教育法規』(同上), 『教育の窓・法律の窓』(小学館), 『戦後高校教育史』(学事出版), 『私のリーダー論』(日本教育新聞社), 『私の校長学』(学事出版), 『戦後教育はなぜ紛糾したか』(教育開発研究所)など多数。

 

この連載は、ジアース教育新社刊「文部科学 教育通信」に2017年8月より連載されているシリーズを転載しています。

第29回

学制改革を目指した審議会 <上>

国の重要政策の基本的な方向性は、審議会の答申に基づいて策定される。よく審議会は官庁の隠れ蓑であるかのような批判を耳にするが、こと教育行政に関しては、それはなかった。私の体験からいえば、審議会は政策を練り上げる場で、審議会委員と行政官の協働作業という思いが強かった。文科省在職中、さまざまな審議会に関わったが、最も印象に残っているのは、学制改革を取り上げた中教審の46答申と臨教審答申である。

 

戦後教育を見直したヨンロク答申

昭和42年にスタートした第8期中教審は、戦後教育の抜本的見直しを検討課題とした。このときの中教審は、4年を費やして、戦後教育について多角的な分析評価を行い、学校制度を総合的に見直した。そして、昭和46年に答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」を出した。いわゆる「46(ヨンロク)答申」である。46答申が提言した改革は、明治初期の学制発布および第2次大戦後の学制改革に並ぶべき「第3の教育改革」と呼ばれた。

とはいえ、46答申は、明治期や戦後の学制改革のように一挙に学校制度を変えようというのではなかった。さまざまな改革案について、先導的試行を行った上で、全国的な学制改革とするか、現行制度と並列的な制度とするかを検討すべきだと提言したのだ。具体的な改革案は、①4、5歳児から小学校低学年を一貫した学校、②中学校と高等学校を一貫した学校、③小・中・高の区切を変えた学校――などである。答申原案をとりまとめたのは、西田亀久夫官房審議官だった。

46答申は、6・3制の改革を目指すものとして広く注目されたが、肝心の文部省内では意見が分かれていた。中教審事務局を担当する大臣官房は先導的施行に積極的だったが、学校教育を担当する初等中等教育局は消極的だった。国会で46答申について質疑を受けて、官房長と初中局長の答弁が食い違って紛糾したこともあった。

教育委員会や校長会等の教育諸団体も義務教育段階で一部の児童生徒を実験的に扱う先導的試行に反対した。文部省は、初中局に「教育研究開発室」を設けて、先導的試行の研究開発を続行するということで、ひとまず答申に応える形を整えたが、その後、先導的試行が実施に移されることはなかった。

先導的試行が実行されなかったことから、46答申は、棚上げになったと評されることがあるが、これは正しくない。なぜなら、先導的施行以外の、例えば、高校教育の多様化、個人の特性に応じた教育方法(習熟度別指導)、幼稚園教育の振興、特殊教育の拡充整備、学校内の管理組織の整備(主任制)、教員養成の改革などの提言は、ほとんどがその後実施に移されたからだ。

 - つづく - 

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