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教育深夜便 川野邉 敏

-Profile-

川野邉 敏(かわのべ さとし)

昭和5年埼玉県生まれ。昭和28年東京外国語大学ロシア語科卒後、文部省入省。 昭和48年から国立教育研究所で国際関係・生涯学習関係の研究に従事。平成7年より常葉学園大学教育学部教授、平成16年より星槎大学教授。この間、東京大学学部および大学院、慶応大学・広島大学・筑波大学大学院等で非常勤講師。専門は比較教育・生涯学習。主な著書に『ソビエト教育の構造』(新読書社)、『ロシアの教育―過去と未来』(新読書社)、『子どものしつけ』(三一書房)、『現代に生きる教育思想』(ぎょうせい)、『世界の幼児教育』(日本らいぶらり)、『新任教師への手紙』(ぎょうせい)、『生涯学習論』(福村出版)、『教師論』(福村出版)など多数。

 
 

第2回

人生って不思議ですね

若いときにはあまり気にしませんでしたが「人生行路」の不思議を思い知らされます。振り返ってみると、60年以上教育関係の仕事に従事してきましたが、胸を張って「教育の道」を自ら選択し、「真実一路」の旅を続けたとはいえません。生きてきた場所と時代に振り回されて今があるという感じです。敗戦後の教育改革が、私をいやおうなしに「教育の道」の軌道に乗せたのです。新しい学習指導要領で、「英語」が必修になるという話を聞きながら、不思議なめぐりあわせだなと、感じました。他人事で退屈でしょうが「過去を知らないものは現在も見えにくい」(ワイツゼッカー・元ドイツ大統領)の言葉に誘われたと思って、我慢してください。

 

ご存知の通り、昭和22年度(1947)から新しい教育制度(6-3-3制)が導入され、戦前にはなかった「新制中学校」が誕生しました。戦後処理の苦しい状況の下で、各市町村では新しいタイプの「中学校」の建設が急ピッチで進められたのです。小学校のグランドを借りての「青空教室」や「2部授業」などの工夫も加えて、混乱の中での「中学校教育」の開始です。外形は整っても教員募集やカリキュラム編成は大変でした。教員は主として小学校のベテラン教員で埋め合わせましたが、戦前にはなかった「社会科」や「英語」 も必修科目として位置づけられたのでその対応には混乱したようです。特に「英語」の授業の導入は大問題でした。戦時中は「英語」は敵国語というわけで、英語を使用することは厳禁されていました。草野球ですら「セーフ・アウト」などを「よし・だめ」などと審判は気を遣っていたのですから、突然、英語教師を見つけるなどは不可能に近い状況でした。最近の新聞・テレビなどを見ると 、 使わなくてもよい言葉をあえて英語やカタカナ文字で表現する風潮とは正反対の時代でした。

 

私の人生はこの新制中学の出現によって、教育への道に導かれました。複雑でわかりにくいと思いますが、旧制中学(5年制)を卒業後、翌23年度から開始された新制高校で1年間学び、24年度から開設された「新制大学」(東京外国語大学)に進学したのです。私の郷里熊谷の隣村(奈良村=現熊谷市)の新制中学の校長が自宅を訪れ、週2回でよいから英語の教科を担当してほしい、というのです。「外国語大学」の学生というだけで、教職経験も教員免許も持っていない私に声をかけてくれたのです。新設の中学校では弟妹と見違えるほどの1年生が待っていました。教科書は『Jack and Betty』で「I am a boy, Youare a girl」といった書きだしだったと思います。この臨時の教師経験は私の生涯にわたる教育への進路を決定づけてくれました。授業だけでなく、放課後も生徒と一緒にいろいろな活動をしました。私の特技の野球の指導はもちろん、音楽室で子どもたちと合唱や劇の真似事をやったりして、暗くなるまで過ごしていたのです。

 

平成32年度(2020)から小学校3・4年生から英語の授業が始まるというので、当時を思い起しました。現役の先生方は英語の指導などは考えてもみなかったはずですが、制度変更の影響で、さぞ大変なことと思います。そこで、65年ほど前の新制中学発足当時のことも記憶してほしいのです。人生何が起こるかわかりませんね。「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子)の言葉ではありませんが、新しい教科の準備に挑戦する中で新しい人生の展望が拓けるかもしれません。この上ない贈り物になると考えてみませんか。