ホーム>教育深夜便 第11回 新春に当たっての「雑感」

教育深夜便 川野邉 敏

-Profile-

川野邉 敏(かわのべ さとし)

昭和5年埼玉県生まれ。昭和28年東京外国語大学ロシア語科卒後、文部省入省。 昭和48年から国立教育研究所で国際関係・生涯学習関係の研究に従事。平成7年より常葉学園大学教育学部教授、平成16年より星槎大学教授。この間、東京大学学部および大学院、慶応大学・広島大学・筑波大学大学院等で非常勤講師。専門は比較教育・生涯学習。主な著書に『ソビエト教育の構造』(新読書社)、『ロシアの教育―過去と未来』(新読書社)、『子どものしつけ』(三一書房)、『現代に生きる教育思想』(ぎょうせい)、『世界の幼児教育』(日本らいぶらり)、『新任教師への手紙』(ぎょうせい)、『生涯学習論』(福村出版)、『教師論』(福村出版)など多数。

 
 

第11回

新春に当たっての「雑感」

新春を迎えて、先々のことを考えるより、遠い昔の思い出(昭和15年前後)が顔を出すことが多くなりました。それが「齢」というものでしょうか。食糧難・国威宣揚の時期で、苦しい時代でしたが、私たち子どもにとっては、正月は心弾む「特別の日」でした。「我が家」の「しきたり」に従って、「除夜の鐘」を合図に、近くの氏神様へ参拝するのは私の仕事でした。早起きして「若水」を汲み家族全員にそれを分けて配り、神棚にお供物をささげ、ロウソクの火をともす準備をするのも私に任された仕事でした。「お屠蘇」をいただき、「昆布巻き・数の子・きんとん・煮つけ」に箸をつけ、お雑煮をいただく「儀式」は、家族の一員に加えられた「はれ」の日だったような気がします。

 

今は、「家」を中心とした「正月のしきたり」もあまり目にしなくなり、門松は見かけず、凧揚げ・羽子板遊びも見かけなくなりました。家族の各人が自由に過ごす、つまり「正月=普通の休日」になってしまったのでしょうか。子どもは自室でパソコン・スマホ・SNSを楽しみ、家族の一員として任される仕事もなく、対話の機会も極端に減少しているのではないでしょうか。「この時代、生きた心地がしないのは、何をするにも指先ひとつ」(朝日新聞・天声人語・1月15日)という大学生の嘆きは、何か現代を反映しているようです。「家」に縛られることなく、「しきたり」もなくなり、大人も子どもも自由で、自ら判断し、過ごすことができるのは素晴らしいことですが、なんとなくさみしい気がします。「除夜の鐘」さえ、遠慮して昼に衝く時代なのです。

 

ところで、先生方は「正月」をどう過ごされたのでしょうか。「家のしきたり」など、とうの昔に無くなり、親子それぞれ思いのままに過ごされたのでしょうか? 環境により何とも言えませんが、実家に立ち寄る、近くの神社にお参りに行くーそれが残された「正月」の伝統なのかもしれませんね。

 

そう考えながらも、「伝統にこだわる先生」「個性の強い先生」もおられるでしょうから、そのような家庭ではどんな「正月」を迎えられたのか気になってしまい、「教師に求められる資質」を改めて思い起こしました。ちょっと古い資料になってしまいますが、中央教育審議会答申「新しい時代の義務教育を創造する」(2005年10月)を思い出しました。そこでは「教育は人なり」という発想のもとに、優れた教師の条件として(1)教職に対する強い情熱、(2)専門職としての確かな力量、(3)総合的な人間力、とまとめられていたのです。しかし、教師の「個性」の扱いは、はっきりしていません。子どもたちには個性重視を求め、一人一人の子どもの個性を引き出すように努力しているはずの先生方には、教師の個性重視といった表現は使われていないのです。個性が強すぎると、一定の子どもへの影響が強すぎ、先生の交代などを考慮すると、マイナス面が多いために、あえて個性などとは表現せず、「豊かな人間性」と言っているのでしょう。そこで、再び私の小学校時代を思い浮かべ、戦争前後の時代であっても、先生方は結構個性を出していたのではと気づきました。3~4年担任の風間先生は書道好きな先生で,教員机(教室の右隅に教師の机があった)の上に硯と墨を置いており、休み時間などには、何か書かれていましたし、5~6年担任の吉田先生は無類の歴史好きで、徳川夢声の宮本武蔵の一説を聞かせてくれていました。その「姿」は今でも鮮明に残っており、忘れられません。

 

先生方の立場は、ちょっと飛躍するようですが、子どもを前にした「演者」であり、世阿弥に言わせれば「我見・離見・離見の見」(『道元と世阿弥』西尾実・岩波書店参照)の対象になるはずです。時代も立場も変わってはいますが、自己の特性を生かし、日々努力しながら「自らの姿」(能では「幽玄」)を子どもたちに示すことが、重要な指導になるのではないか、などと考えた「正月」でした。