ホーム>教育深夜便 第14回 「言葉」の重み

教育深夜便 川野邉 敏

-Profile-

川野邉 敏(かわのべ さとし)

昭和5年埼玉県生まれ。昭和28年東京外国語大学ロシア語科卒後、文部省入省。 昭和48年から国立教育研究所で国際関係・生涯学習関係の研究に従事。平成7年より常葉学園大学教育学部教授、平成16年より星槎大学教授。この間、東京大学学部および大学院、慶応大学・広島大学・筑波大学大学院等で非常勤講師。専門は比較教育・生涯学習。主な著書に『ソビエト教育の構造』(新読書社)、『ロシアの教育―過去と未来』(新読書社)、『子どものしつけ』(三一書房)、『現代に生きる教育思想』(ぎょうせい)、『世界の幼児教育』(日本らいぶらり)、『新任教師への手紙』(ぎょうせい)、『生涯学習論』(福村出版)、『教師論』(福村出版)など多数。

 
 

第14回

「言葉」の重み

「言葉は魔法の宝庫だ。人に活力を与えてくれる」という新聞のエッセイを読んで(朝日新聞4月4日夕刊)、つい相づちを打ってしまいました。前回(第13回)の最後の部分に、スホムリンスキーの言葉を挙げておいたせいもあるのです。また、前月(3月4日)、私たちの研究会に中国の教員養成の専門家である肖甦(シャオ・スー)北京師範大学教授をお招きして、中国の教員養成について話を聞いたとき、スホムリンスキーは、現代中国の教員養成に欠かすことのできない貴重な教育者であり、彼女の知る限り、国内の殆どの大学で彼の業績を学習させているというのです。そんな背景もあり、彼の業績のうち、「言葉」に関連した考え方や実践の一部を紹介させて頂こうと思います。

 

彼は、ウクライナの南西のパブルイシュという小さな町で、小中学校の教師および校長として教育実践に従事し、若くして亡くなった、旧ソ連時代の著名な教育学者(1970年52歳没)です。彼の業績の全容を紹介する紙面はありませんが、特に幼少年時の教育に着目し、そこでの教育が子どものその後の成長・発達の基礎になることを強調しています。

 

例えば、彼は就学前の子どもたちを朝早く草原に連れ出し、「耳をつけてご覧、草のささやきが聞こえるでしょう」、あるいは朝焼けの空を眺めさせ、「お日様が火の粉を巻いている」などと語り掛け、自然の姿や美しさを体験させ、また、秘密の洞穴に連れだし、火を囲みながら物語を聞かせ、心の世界に働きかけています。彼の言葉でいえば、「子どもの豊かな精神世界を育てる」ということに力を注いでいました。

 

ただ、体験させるだけで精神世界は豊かにはならない、「体験と言葉」を結合させて、言葉を心に浸み込ませることが大切だとも言っています。低学年の子どもを草原に連れ出す際には、スケッチブックに草原の姿(草原に見える小さな小屋・牛や野鳥の姿・地平線上に浮かぶ雲など)を描くように求め、その下に「ル-ク」(ロシア語で「草原」)と文字を書き込ませるのでした。言語が先にあって、状況を想像させるのではなく、現実が先にあって「言葉」を心に浸み込ませるという方法です。こんな手間暇かかる作業を行うことなど、多忙な教育現場ではできないことは当然でしょうが、幼少年期の子どもの指導の一方法として頭に入れておく価値があるのではないかと感じています。

 

この他、彼の本を読んでいますと、日常頭に入れておきたいような言葉が幾つも浮かびあがってきます。以下は、拙訳書『青春を生きるお前に=息子への手紙』(新読書社)からの抜粋です。

*私たちは限りなく多くの言葉を持っているが、三つの言葉を何よりも挙げておきたい。それは「パン・労働・民衆」です。

*自分の心の中の最初の動きを消してはならない。それはもっとも高潔なものだから、心の最初の動きの命じるままに行動しなさい。

*大切なのは、その人自身の意志であり、自制なのです。「することができる、してはいけない、する必要がある」という三つを鋭く感じ取らなければならない。

など。 

 

彼の言葉を書き出しはじめると、次々とハッとするような言葉が飛び出してきます。皆さんも子どもに対面しながら、どんな言葉をかけたらよいか混乱することも多いでしょう。このような瞬間に対応するため、常に留意しておく大切な言葉があるはずです。是非、各人の立場でそれを念頭に置いて子どもに接して頂ければと思います。

 

過日ある紙面(「図書教材新報」)に変化の時代の教材についてエッセイを書いているとき、ふと、チャップリンの「モダン・タイムス」の情景を思い出してしまいました。人間が作り出した機械が人間を支配するような時代になってはいけないという思いがしたからです。非人間的な機器が人間を支配するようにならないためにも、生きた人間にふさわしい「言葉」をしっかり身に着けておきたいものです。