ホーム>教育深夜便 17回 なぜ「体験学習」にこだわるのか

教育深夜便 川野邉 敏

-Profile-

川野邉 敏(かわのべ さとし)

昭和5年埼玉県生まれ。昭和28年東京外国語大学ロシア語科卒後、文部省入省。 昭和48年から国立教育研究所で国際関係・生涯学習関係の研究に従事。平成7年より常葉学園大学教育学部教授、平成16年より星槎大学教授。この間、東京大学学部および大学院、慶応大学・広島大学・筑波大学大学院等で非常勤講師。専門は比較教育・生涯学習。主な著書に『ソビエト教育の構造』(新読書社)、『ロシアの教育―過去と未来』(新読書社)、『子どものしつけ』(三一書房)、『現代に生きる教育思想』(ぎょうせい)、『世界の幼児教育』(日本らいぶらり)、『新任教師への手紙』(ぎょうせい)、『生涯学習論』(福村出版)、『教師論』(福村出版)など多数。

 
 

第17回

なぜ「体験学習」にこだわるのか

前回(第16回)で、私は「体験学習」の必要性を書きました。教員の皆さんには程度の差はあるにせよ、「体験の重要性」については、当然、賛同して頂けるものと思って、特に「肉体と心に浸み込む<労働や美の体験>」にこだわったのです。しかし、それは私の思い過ごしだと気づきました。安定した日常生活を営んできた家庭や子どもの姿を前にして、なぜ「体験」にこだわるのかと戸惑われる先生方が多いのは当然なのかもしれません。反響をいただいた皆さんの年齢層を考えてみると、多くが昭和30年代後半の生まれであり、生活上の困窮や不安を感じることなく育った世代であったからです。

 

私は戦前・戦中・戦後に青少年期を過ごし、多様な体験を強いられてきました。小学校では、日本は「神国」であり、正義の戦いを行っている、と。そのために体を鍛え、一旦ことある時には身を挺して国のため民のために奉仕するようにと教えられてきました。戦中は「教育」どころではなく、中学入試も筆記試験はなく(器械体操と重量運搬と内申書だけ)、中学1年時は多少の教室での授業の他は「教練」や近隣の農家での「勤労奉仕」に明け暮れ、2年生の後期から3年時には勤労動員(私の場合は三井精機桶川工場)で、毎日、研磨工として働かせられました。その間、食糧は困窮し、配給物資もままならず、母と共に近くの農家へ着物や生活用品を持って、米やジャガイモの買い出し(農家はなかなか売ってくれません)に出かけ、毎日「農林1号」やらというサツマイモと「額ほどの自宅の庭」で栽培した野菜で過ごしました。

 

昭和25年の朝鮮戦争後に、やや食料にゆとりが見え始めましたが、昭和30年代中ごろまでは今では考えられないような生活が続いたのです。「テレビ」が出回るようになったのは30年代初期で、文部省の中庭で売っていたテレビを月賦で買い、実家に送ったのが最大の親孝行でした。実家には隣組の奥さん方が集まり、母親の息子自慢の種になったという話でした。お聞き及びのことと思いますが、昭和34年の「ご成婚」の行事を境に、テレビは普及し始め、冷蔵庫・洗濯機などが一般家庭に普及し始めたのでした。

 

このような時代に生きてきた私の身に染みていることは、世の中では、ものごとは思いもよらず「アットいう間に起こりうる」ということです。徐々に変化することもありますが、突然大変化することがあるということです。日本の現状は「平和で豊かな国」ということができますし、国民の暮らしも程度の差はあるにしても「満足」の度合いが強いでしょう。このような状況を残し、よりよい生活を子どもたちに継承・発展させてやりたいと願うのは、私ばかりではないはずです。

 

しかし、戦争に巻き込まれ、食べ物に汲々として生きてきた私にとって、このような状況が続くのかどうか、絶えず疑問が付きまとうのです。少子高齢化、人口の都市集中化と過疎化、所得格差の拡大、外国人労働者の受け入れ増加など、変化を推測できる課題も多いのですが、それらの具体的解決策は―となると安心してはいられません。国際関係の変動で経済不況が訪れないとも限りませんし、風水害・地震などの自然災害の頻発は、誰にも予測ができません。東日本大震災の時は、東北地方の方々だけでなく、比較的遠方に住む私たちにも大きな影響がありました。明日の食料を求めるためにスーパーやコンビニに駆けつけても食料品の棚はカラでしたし、ガソリンの購入に何時間も並ばされたことなども忘れられません。日常当たり前に活用している電気・水道・ガスが使えなくなることも、熊本・大阪の地震や中四国の大水害などから学ばされました。

 

繰り返しになりますが、突然あるいは徐々に日常生活上の変化が起きているのです。そこで身に染みたのが、生きる上での「基本的な体験」を、学校時代に味あわせておいてあげるのが、私たち先人の役割ではないかという思いです。「苦しみに耐える力、力を合わせて前向きに行動する力、苦しさを克服する喜びの創出」などを体験させることです。それは、頭脳や手先の工夫では得られないものではないでしょうか。