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教育深夜便 川野邉 敏

-Profile-

川野邉 敏(かわのべ さとし)

昭和5年埼玉県生まれ。昭和28年東京外国語大学ロシア語科卒後、文部省入省。 昭和48年から国立教育研究所で国際関係・生涯学習関係の研究に従事。平成7年より常葉学園大学教育学部教授、平成16年より星槎大学教授。この間、東京大学学部および大学院、慶応大学・広島大学・筑波大学大学院等で非常勤講師。専門は比較教育・生涯学習。主な著書に『ソビエト教育の構造』(新読書社)、『ロシアの教育―過去と未来』(新読書社)、『子どものしつけ』(三一書房)、『現代に生きる教育思想』(ぎょうせい)、『世界の幼児教育』(日本らいぶらり)、『新任教師への手紙』(ぎょうせい)、『生涯学習論』(福村出版)、『教師論』(福村出版)など多数。

 
 

第18回

「不易と流行」の言葉を思い出して

8月9日の「長崎原爆被爆・73回忌」のテレビを見ながら、人生の不思議を改めて感じました。私ごとで恐縮ですが、妻の父親は昭和20年当時県立長崎工業の校長を務めており、原爆犠牲者になり、生活上やむを得ず、家族3人(母・兄と妻)で東京に移住したことが、私と妻との出会いの契機となったのです。そして、話は全く別なことですが、高校野球100周年記念大会のテレビ放送も、私を甲子園球場に釘づけにしてしまいました。昭和24年及び26年の夏の大会(母校の甲子園出場)での練習で、先輩コーチとして外野ノックを担当していたことが同時に思い起こされたのです。

 

こんな思いで過去を振り返りながら、「学習指導要領」も戦後60年ほどが経過して、その間およそ10年ごとに改訂されてきたことを思い浮かべたのです。設定当時は先進諸国の教育事情を比較・検討しながら、「追いつけ追い越せ」の雰囲気の中で作成されたこと、その後、「教育内容の現代化」(昭和43年)、進学率の向上と競争力激化の中での「ゆとりの教育」(昭和52年)、生涯学習社会の到来の中での「自己学習力の育成や心豊かな人間性の育成」(平成元年)などを柱とした改訂が進められてきたわけです。

 

ただ、改訂にあたっては「不易と流行」、つまり教育の基本である「知識・技能の育成」(不易)を着実に守りながら、社会の変化に対応(流行)するという原則が守られてきたように思えます。終戦直後のような大変革が学校教育の現場を混乱させ、それを安定・定着させるためには、長い年月が必要であり、教育の「断絶」は避けなければならないことが前提になっていたのです。

 

今回の学習指導要領も「不易と流行」の原則は守られているように思えます。ただ、改訂の総則で「基礎的・基本的知識及び技能の習得」が掲げられていますが、「社会の変化への対応=国際化社会及び情報化社会への対応」(流行=昭和62年・臨教審答申の<21世紀教育のあり方>の3本柱の一つ)への比重が強く感じられ、それに対応するための「思考力・判断量・表現力の育成」が、今回の改訂のキーワードとなっている点が気になります。

 

教育専門誌などを開くと、小学校段階からの英語教育やプログラミング教育への対処法や、その指導の素材としての情報機器の活用法などが頻繁に取り上げられ、「デジタル教科書」といった新教材も開発・使用されるようです。我が国の将来像を想定すれば、変化する社会を前提としたパソコン・スマホなどを自由に使いこなし、「自ら考え、自ら判断し、他人と対話する力」が必要なことは間違いのないところでしょう。しかし、それを活用できる人間の育成が、学校教育の目標になってしまってよいのでしょうか。

 

私が教育分野に足を踏み入れた当時に、「教育」がどのように定義されていたかを改めて眺めてみますと、「人間に対する愛から発し、対象となる人間を価値あるように成長させる、社会機能である」(「教育事典」昭和41年・小学館・海後宗臣)などが見受けられ、教育とは教師と生徒が直接対面・接触しながら、知識と人間性を育てる、厳粛な仕事であると述べられています。

 

このような古い教育観はとっくに消滅し、教師は脇役になり、そしてさらに情報機器を巧みに使いこなす子どもを支援する役割を担うように変わっていってしまうのでしょうか。

 

少子高齢化社会、都市と農山村との格差拡大、そして自然災害の頻発する社会への対応する力や、厳しい環境の中で生きる人びとの共生・共存、人間相互の絆の強化などの育成に陰りがみられなくはならないでしょうか。

 

戦前・戦中に生きた人間の一人として、「流行」に惑わされず、教育の「不易」の意味を改めて見直したいものです。