ホーム>教育深夜便 第19回 「映像」(教材)の生かし方

教育深夜便 川野邉 敏

-Profile-

川野邉 敏(かわのべ さとし)

昭和5年埼玉県生まれ。昭和28年東京外国語大学ロシア語科卒後、文部省入省。 昭和48年から国立教育研究所で国際関係・生涯学習関係の研究に従事。平成7年より常葉学園大学教育学部教授、平成16年より星槎大学教授。この間、東京大学学部および大学院、慶応大学・広島大学・筑波大学大学院等で非常勤講師。専門は比較教育・生涯学習。主な著書に『ソビエト教育の構造』(新読書社)、『ロシアの教育―過去と未来』(新読書社)、『子どものしつけ』(三一書房)、『現代に生きる教育思想』(ぎょうせい)、『世界の幼児教育』(日本らいぶらり)、『新任教師への手紙』(ぎょうせい)、『生涯学習論』(福村出版)、『教師論』(福村出版)など多数。

 
 

第19回

「映像」(教材)の生かし方

この一か月ほど、テレビ「映像」の力を感じたことはありません。8月は甲子園の高校野球100周年記念大会での金足農業の活躍が目に焼き付けられましたが、9月に入ると台風による大阪の被害、その翌日には北海道での震度7という地震による大災害の情景が繰り返し放映され、「映像」の持つ威力に圧倒されました。

 

そんな「映像」を見ながら、このような、めったにない機会を先生方は学校でどう取り上げられるのだろうかと気になりました。「吉田選手の迫力はすごかったな」「大阪国際空港の被害は暴風と高波で大変だったね」「北海道の地震は震度や発生場所もさることながら、全道停電や断水で、道内の人々の生活と損失は計り知れないものになるだろうな」といった客観的な事実を感想程度に話して、終わらせてしまうのでしょうか。それとも、このタイミングをとらえ、自然が人間に容赦なく与える試練などを、授業時間のどこかで考える素材として取り上げられるのでしょうか。

 

映像に限らず、「教材」は授業に欠かすことはできない素材です。その思いで、私たちは平成初年度から「日本教材学会」を組織し、「教材全般」についての研究・調査を重ねてきました。残念ながら大学の教員養成課程では「教材」に関する専門的授業は行われず、「教科教育法」などの授業の一部でしか取り上げられてきませんでした。そこで、ささやかながら、初任者研修用の『授業と教材』(日本図書教材協会編)という冊子を作り、都道府県等の教育委員会に提供してきました。教育の現場に立つ以前に「教材」そのものについて十分認識しておいて欲しいと願ったからです。

 

そんなことを感じながら、たまたま読んだ本の中に、「眼より耳が大切だ」というショッキングな内容の著書が目に留まりました。「聴くが聡明の始まり」「思考を深める<聴く話す>」などで、目より耳の重要性を強調したものです(外山滋比古『知的な聴き方』大和書房)。また、『物語の終わり』(湊かなえ・朝日文庫)では、旅をした過程を「素晴らしい。こんな珍しい食べ物に出合って感激した」と旅の印象を書いても、その裏側にある人々の努力や悩みや苦しみを捉えなければ、読む人(学習者)に創造力や判断力など与えられるはずがない、といった読み物にも出合いました。

 

確かに「聴覚」は人間の機能の中で、最重要なものの一つであることを否定するつもりはありません。かといって「視覚」や「現実」を軽視するわけにはいきません。私たちがこだわってきた「教材」を活用して、生きた言葉で「聴覚」を刺激し、「心の中」にしっかり留めさせるのが、教師の役割ではないでしょうか。

 

そこで「啐啄同時」(ソッタク同時)という表現を思い出しました。昔、都内のベテラン校長と話していた時、彼女が強調した言葉です。鶏が卵をかえすとき、殻の中で雛がつつく音がし、母親が殻を破るという意味で、その大切さを教師に求めているということでした。教材を活用する場合も、教師の思いと子どもの気持ちが一体になったとき、教師の一語一語が生涯忘れられないものになるといえるでしょう。

 

原爆の日が近づいたころ「折り鶴」を織っている小学校の姿がテレビで放映されていました。先生は子どもと一緒に「折り紙」を織りながら、「佐々木禎子さん」(原爆で白血病にかかり、鶴を折りながら回復を祈ったが12歳で死亡)の話をされるのでしょう。子どもたちに原爆の脅威を語り掛けるより、折鶴の「教材」を共に創り、語り掛ける先生の言葉は、生涯、子どもたちの心に生き続けるのではないでしょうか。

 

これからの時代、デジタル化の流れの中で各種の教材が開発され、貴重な「映像」や写真や音声が残されることでしょう。それら「教材」を巧みに選択・活用し、語り掛ける先生方の姿を思い浮かべさせられました。