ホーム>教育深夜便 第25回 「集中・ゆとり」と「心の糧」を求めて

教育深夜便 川野邉 敏

-Profile-

川野邉 敏(かわのべ さとし)

昭和5年埼玉県生まれ。昭和28年東京外国語大学ロシア語科卒後、文部省入省。 昭和48年から国立教育研究所で国際関係・生涯学習関係の研究に従事。平成7年より常葉学園大学教育学部教授、平成16年より星槎大学教授。この間、東京大学学部および大学院、慶応大学・広島大学・筑波大学大学院等で非常勤講師。専門は比較教育・生涯学習。主な著書に『ソビエト教育の構造』(新読書社)、『ロシアの教育―過去と未来』(新読書社)、『子どものしつけ』(三一書房)、『現代に生きる教育思想』(ぎょうせい)、『世界の幼児教育』(日本らいぶらり)、『新任教師への手紙』(ぎょうせい)、『生涯学習論』(福村出版)、『教師論』(福村出版)など多数。

 
 

第25回

「集中・ゆとり」と「心の糧」を求めて

いよいよ新元号が決まり、来年はオリンピックの年を迎えることになりました。しばらくの間はスポーツに眼も気分も奪われ、なんとなく平和な暮らしを感じることができるような気がします。

 

ところが、教育界はどうなるのでしょうか? 2020年から「大学入試の改訂」(センター試験の改訂)を前提とした改革が進められるようで、高校だけでなく、中学・小学校の教育課程も大幅な改訂が進められることになるのではと懸念しています。また、教育の国際化・情報化の波は、日本だけでなく、各国の学校教育に影響を与えることになるようです。

 

欧米諸国では前世紀末から、国の枠を超え、国際的に通用する「国際バカロレア」の導入を前提にした改革が進んでいました。伝統的な学問体系(自国語・数学など教科別教育)に重点を置き、既成知識を教授する制度から子どもの個性を重視し、子ども自身が自ら考え、行動できるような教育が導入され始めてきたのです。ご存じの方も多いと思いますが、1996年には、ユネスコが「学習―秘められた宝」(21世紀教育国際委員会)を発表し、「教える教育から学ぶ教育」への教育観の転換が主流になってきているのです。

 

例えば、欧州の先進諸国を中心に、各国で支持されている「国際学校」の動きをみると、初等・中等段階のカリキュラムでも、「ユニット」(テーマ)で教えられ始めているようです。例えば、(1)私たちは何者だろうか(自分自身について)、(2)私たちはどのような場所と時代に生きているのだろうか、(3)私たちはどう自己を表現するのか、(4)世界はどう動いているのか……など(『国際バカロレアとこれからの大学入試』福田誠治著・亜紀書房)。

 

こんな時代に来ているのですね。日本でも、基礎・基本の知識・技能に加え、「思考力・判断力・表現力・学習意欲」などの向上を柱とした学習指導要領の改訂が現実的なものとなってきました。

 

そんな教育の大変革に戸惑いながらも、長い間教育に携わり、生きてきた者の一人として、過去を振り返り、現役時代にどう身を処してきたのか振り返ってみました。

 

一つは、「青春時代」で、職務に打ち込んできたような気がします。特に、文章を書く基本を学びました。当時は文部省に職を置きましたので、調査のまとめや報告書の原稿を書かされましたが、上司に全文を直されることがしばしばでした。極端に言えば「を」か「は」かで、20~30分考え続ける先輩もいました。これがその後の人生の中で大いに役立ったということを感じています。皆さんも各種の書類を「書くこと」があると思いますが、この訓練を早いうちに意識しておくことが必要なのではないでしょうか。

 

二つは、ある程度仕事に自信を持った「中年時代」ですが、この時代は「ゆとりの時間」の大切さが身に染みています。学校とは違い、国立教育研究所に勤めていましたので、3時のおやつの時間がありました。お茶を飲みながら自由勝手に語り合っていただけですが、はっと思ったり、疑問が解けたり、新しい発想に気づくことがしばしばありました。

 

そして、50代前後の「定年前期?」になったころは、人間の心の問題に関心を持ちました。宗教書などを見付けると、手当たり次第手に取ってみました。内容はほとんど理解できませんでしたが、「唯識論」では、生の根源を教えられましたし、「般若心経」では、日常的な「我」を無にして,世事を離れる時間の大切さを思い知らされました。

 

先生方は超多忙な毎日でしょうが、職務に励みながらも、わずかな時間であっても、集中とゆとり感を併せ持って、自己の内面のささやきに耳を傾けて欲しいのです。