ホーム>教育深夜便 第26回 教師の「特権と責務」

教育深夜便 川野邉 敏

-Profile-

川野邉 敏(かわのべ さとし)

昭和5年埼玉県生まれ。昭和28年東京外国語大学ロシア語科卒後、文部省入省。 昭和48年から国立教育研究所で国際関係・生涯学習関係の研究に従事。平成7年より常葉学園大学教育学部教授、平成16年より星槎大学教授。この間、東京大学学部および大学院、慶応大学・広島大学・筑波大学大学院等で非常勤講師。専門は比較教育・生涯学習。主な著書に『ソビエト教育の構造』(新読書社)、『ロシアの教育―過去と未来』(新読書社)、『子どものしつけ』(三一書房)、『現代に生きる教育思想』(ぎょうせい)、『世界の幼児教育』(日本らいぶらり)、『新任教師への手紙』(ぎょうせい)、『生涯学習論』(福村出版)、『教師論』(福村出版)など多数。

 
 

第26回

教師の「特権と責務」

新しい元号が決まりました。「平成」が決まったときは、あまり気にしていなかったのですが、それから30年たった今回は、昭和・平成が過ぎ去って、自分の人生の結末を意識し始めているためか、感慨が強いのです。私がこれまで関わってきた「教育」とは、いったいどんな意味があり、教師とはどんな職業なのかなど、改めて考えてしまいました。

 

そこで、手元にあった『面倒だから、しよう』(渡辺和子・幻冬舎文庫)を何気なく見ていましたら、はっと気づく言葉が散見されました。教育とは、「人間に対する愛から発し、人間を価値あるように成長させる社会機能である」(海後宗臣・教育事典・昭和41年・小学館)という、私が青春時代に学んだ言葉を思いだしたのです。教師は「人間を価値あるように成長させる役割を持つ存在である」という原則を忘れてはいけないのだということです。

 

ご存じの方も多いと思いますが、この書の著者は昭和11年2月26日(2・26事件)、9歳の時、目の前で父親(渡辺錠太郎教育総監)がクーデターの軍人に殺害された、その現場にいたのです。恐ろしい体験だったと思わずにはいられません。その後、ノートルダム修道女会にはいり(29歳)、アメリカで5年間学び、帰国後36歳でノートルダム清心女子大学の学長に就任すること(先代の急死による)になるのです。この若さで学長の任に堪えるのは並大抵のことではなかったようですが、生涯を女子教育に捧げた方であり、その間、『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)がベストセラ―になり、彼女の存在は広く知られることになったのです。

 

手にしていた前掲書の中にも、沢山の名言が書き込まれています。いくつか挙げてみると、「価値があるから生きるのではない、生きているから価値があるのだ」「つまずくのは当たりまえ。つまずいたおかげで気づくものがある」「生きていると生きていくは、同じではない」「心を込めて毎日を丁寧に生きる(人の命も物も両手で頂きなさい)」「不満を言う前に、物事を裏返してみるゆとりをもつ」「当たり前のことがありがたいものだと気づけば、幸せの度合いが高まる」……など。

 

これらの言葉や本の内容を眺めてみると、彼女がマザーテレサに大きく影響を受けていることがわかります。私はマザーテレサのことは、貧しい人,病める人、孤児たちに対して、無償の愛と献身的な援助を行ってきたインドの修道女で、ノーベル平和賞の受賞者である程度しか知りませんが、キリスト教の修道女としての彼女には特別の感懐があったのかもしれません。私自身は、フランクル・星野富弘・神谷美恵子など、昔読んで感銘した人々の思想や生き方などを、思い起させられたのです。

 

過去の人々の名言や行為は、時と場と置かれた状況によって、当然違いがありますが、それを読み、感銘を受けた個々人が、それを自己の生活の中でどう受けとめ、どう対処していくかは、教育に関わる人々の重い課題です。

 

それを生かせる場にあるのが教育の専門職である先生方ではないでしょうか。これまで学び、体験し、自分の心の中に蓄積している言動があるはずですし、それを子どもたちに効果的に伝える「特権と責務」を持っているのが教職のはずです。

 

「子どもを価値あるように成長させる」という表現は抽象的ではありますが、自身の心の中で咀嚼・蓄積し、授業であれ、生徒指導の場面であれ、個々の子どもと出会った場面であれ、心に仕舞い込んでいる言動を取り上げ、語ることができるし、機会を捉えて指導することが可能です。羨ましい職業というほかはありません。自分の人生の過程で、気づき、信じていることを、失敗したことを含めて語り掛けてください。その際、名言・名句・行為などを心に刻み込んでおけば、子ども達の心に強く響くはずです。「令和」の最初の年に当たっての私の願いです。