ホーム>教育深夜便 第28回 「縦の糸」と「横の糸」

教育深夜便 川野邉 敏

-Profile-

川野邉 敏(かわのべ さとし)

昭和5年埼玉県生まれ。昭和28年東京外国語大学ロシア語科卒後、文部省入省。 昭和48年から国立教育研究所で国際関係・生涯学習関係の研究に従事。平成7年より常葉学園大学教育学部教授、平成16年より星槎大学教授。この間、東京大学学部および大学院、慶応大学・広島大学・筑波大学大学院等で非常勤講師。専門は比較教育・生涯学習。主な著書に『ソビエト教育の構造』(新読書社)、『ロシアの教育―過去と未来』(新読書社)、『子どものしつけ』(三一書房)、『現代に生きる教育思想』(ぎょうせい)、『世界の幼児教育』(日本らいぶらり)、『新任教師への手紙』(ぎょうせい)、『生涯学習論』(福村出版)、『教師論』(福村出版)など多数。

 
 

第28回

「縦の糸」と「横の糸」

年号が「令和」に変った5月2日に、突然訃報が入りました。長年ご一緒に働いてきた清水厚実さん(福山大学総長・日本教材学会会長)が急逝されたという電話でした。皆さんはご存じないと思いますが、彼は高齢にも関わらず毎月東京から福山まで新幹線で往復し、また、日本教材学会の代表として学会の発展に関わり、元気一杯の日々を送っておられたのですが、平成の最後の日に亡くなるという不思議な生涯でした。

 

そこで改めて、私の所属する研究グループ(ロシア・ソビエト教育研究会=通称NIKORS)のメンバーを思い起してみると、平成の時代に定年を迎えた先生方が6名、現役を退職されていたのです。研究会が始まった当時(昭和50年設置)は、30歳前後の新進気鋭の青年研究者だった方々だと思うと、月日は、「あっという間」の出来事だということを実感させられます。

 

さらに振りかえってみると、『ベルリンは晴れているか』(深緑野分著・筑摩書房)という単行本の内容が気になりました。第2次世界大戦前後のベルリンの破壊された町や市民の状況、中等学校生活などがこまごまと書かれているものです。先生の授業前の挨拶は「ハイル・ヒトラー。皆さん~」であり、生徒は「ハイル・ヒトラー。先生~」と答えていたようです。日本の学校でもそれに近い教育が行われていました。「唱歌」の時間はほとんど軍歌で、「見よ東海の空あけて~」「勝ってくるぞと勇ましく~」などと、先生の手振りの二拍子で歌わされていたのです。家庭生活も切羽詰まっていました。食料は不足し、人数割の配給制でした。隣組(10~15所帯)の回覧板による指示(命令)で、国旗掲揚・夜回り・灯火管制などが日常的に行われていました。成人男性は出征して不在であり、私たち子どもと女性が中心で、消火訓練・買い出しなどに振り回されていたのです。

 

つい、こんな体験から、改めて私自身の人生を振り返ってみると、思いもよらない「突然の変化」、平常時の連続のような「時間の変化」、国や社会の情勢による「時代の変化」が常に存在していたと思い至りました。平成から令和に入ったこれからも、いろいろなことが生じないという保証はないでしょう。

 

先生方はまだ若く、お元気でしょうから、将来のことよりも、目の前の現実にどう対処するか、努力されていることと思います。しかし、「定年」はすぐにやってきて、それから30~40年の人生が待っています。そこで、若い先生も中高年の先生もそれへの備えが求められるのではないでしょうか。

 

私は「縦の糸と横の糸」の生活を早いうちから心がけてほしいと願っています。縦の糸はもちろん、現在の教職という職業のことです。社会の要求も増大して、従前では考えられなかった「外国語」や「プログラミング」といった教科が小学校段階まで入り込み、「思考力・判断力・表現力」や「子ども自身の学ぶ意欲や態度」が求められ、それらを含めて「縦の糸」を深め、広めなければならないでしょう。

 

ただ、それに加えて、「横の糸」を紡ぐ準備をしておくことが大切ではないでしょうか。私の周囲の研究者の方々も、青年期には特定分野(ここでいう「縦の糸」)に力を注いできましたが、成人期に入ると研究の内容や幅を深め広めながら、個人的な興味・関心を生かした「横の糸」を花開されておられる方々が多いのです。

 

例えば、研究者仲間の関啓子さん(一ツ橋大学名誉教授)はクループスカヤ研究(ソ連の教育学者・実践課)の権威でしたが、日常生活では「トラ好き」でもあったようです。定年後には『トラ学のすすめーアムールトラが教える地球環境の危機』(三冬社)という図書を出版し、私たちを驚かせました。

 

先生方には余裕などほとんどないでしょうが、自分の趣味、興味・関心に合わせた「横の糸」をひそかに磨いておかれたら、人生がより色彩豊かになるのではないでしょうか。