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教育深夜便 川野邉 敏

-Profile-

川野邉 敏(かわのべ さとし)

昭和5年埼玉県生まれ。昭和28年東京外国語大学ロシア語科卒後、文部省入省。 昭和48年から国立教育研究所で国際関係・生涯学習関係の研究に従事。平成7年より常葉学園大学教育学部教授、平成16年より星槎大学教授。この間、東京大学学部および大学院、慶応大学・広島大学・筑波大学大学院等で非常勤講師。専門は比較教育・生涯学習。主な著書に『ソビエト教育の構造』(新読書社)、『ロシアの教育―過去と未来』(新読書社)、『子どものしつけ』(三一書房)、『現代に生きる教育思想』(ぎょうせい)、『世界の幼児教育』(日本らいぶらり)、『新任教師への手紙』(ぎょうせい)、『生涯学習論』(福村出版)、『教師論』(福村出版)など多数。

 
 

第37回

「童話」を手にしながら

前回(第36回)で「新型コロナ」について触れましたが、改めて今回もその影響について考えずにはいられません。

 

いうまでもなく、人々の日常生活にこれまで体験したことのない大きな変化を与えているだけでなく、子どもたちの従来の学校生活を混乱に陥れさえしています。学校はすでに3か月も休校になり、子どもたちは家の外で気分転換をひっそりと行う程度で、我が家の前の中学生は、夕方になると、ひそかにボールを蹴ったり、剣道の竹刀を持ち出して素振りをしたりして、体を動かすといったところです。

 

そんなときにテレビからは、学校の制度改革をこの際思い切って行い、「9月開校への移行」とすべきだといった声も聞こえてきますので、昭和46年の中央教育審議会答申(いわゆる4・6答申)などを思い出したりしています。当時は教育の国際化の風潮が強く、ある委員は国際的・歴史的にみて、この際大改革を行うべきで、小学校4年制・中間学校3年制・中学校3年制、新学期は9月開始などと提言され、議論されました(会期は3年弱)。当時、私は文部省に在籍し、資料の集積や外国文献の翻訳などに振り回され、その後「国立教育研究所」に移ってからも、その余波をかぶっており、「日本の4月は桜の花の美しい春であり、欧米諸国に合わせる必要はない」などといった言葉なども耳にしました。

 

その後、ソ連の新学期にモスクワの学校を訪問したとき(9月1日)、上級生の男女が美しい花束を新入生に手渡し、子どもを連れて教室に入っていった姿を眺めながら、一番美しい秋を新年度にしたのは、自然の影響もあるのではと感じたのでした。

 

そんなことを思い出しながら、何気なく、昨年6月この世を去った妻の書棚を見つめ、「童話全集」の冊子を手に取ってみると、私たちが子どものころよく耳にしたことのある作家や題名が目につきました。最初の本は「新見南吉童話全集」(大日本図書・昭和35年)、次は「石森延男児童文学全集」(学習研究社・昭和26年)でした。前者には、「ごんぎつね」や「かなづち・こぞうさんのおきょう・でんでんむし」など短編が次々に書かれており、後者は「あいぬの歌」が中心で、両親を亡くした姉と弟の生活が、「あいぬ」であるという出自だけの理由で苦労をしながらも、二人でたくましく生きてゆく姿をもって描かれていました。ついでながら、小学校5年生用のジェイン・オーレルの「月夜のみみずく」(光村図書・平成9年)という短編にも出会い、夢のような親子の生活に、うらやましさを感じたのでした。

 

コロナの影響が長引き、国は「新しい生活の構築」をめざし、学校教育を含め、生活全体の改善を求めています。先は見えませんが、「子どもの生活」も従来通りの「学校中心」ではなく、「学校と家庭・地域」との共存という時間が多くなり、教師や友達との関係もオンラインやスマホなどを通してという時間も増えることになるでしょう。

 

つまり、子どもたちの家庭での時間が長くなるということです。私たち高齢者は戦前・戦中の一時期は、学校に通学するというよりは、「勤労動員」で農繁期には農家に赴き、中高学年になると、男子は製鉄工場、女子は縫製作業所などで働いていたという経験を思い出します。テレビもなくラジオだけの生活でしたが、親子は結構いろいろな話をしていたものです。

 

これからは、情報機器が中心になり、家族の形も変化するでしょうが、家庭内にある「学習材?」(思い出の写真・絵本・塗り絵などを含む)に注目してみませんか。現在の家庭内には、「童話」など置いておく人は少ないかもしれませんが、楽しそうな資料を見つけ、家族全員で「話しあう時間」を持ちたいものです。