ホーム>教育深夜便 第38回 巧みな「船頭」を目指して

教育深夜便 川野邉 敏

-Profile-

川野邉 敏(かわのべ さとし)

昭和5年埼玉県生まれ。昭和28年東京外国語大学ロシア語科卒後、文部省入省。 昭和48年から国立教育研究所で国際関係・生涯学習関係の研究に従事。平成7年より常葉学園大学教育学部教授、平成16年より星槎大学教授。この間、東京大学学部および大学院、慶応大学・広島大学・筑波大学大学院等で非常勤講師。専門は比較教育・生涯学習。主な著書に『ソビエト教育の構造』(新読書社)、『ロシアの教育―過去と未来』(新読書社)、『子どものしつけ』(三一書房)、『現代に生きる教育思想』(ぎょうせい)、『世界の幼児教育』(日本らいぶらり)、『新任教師への手紙』(ぎょうせい)、『生涯学習論』(福村出版)、『教師論』(福村出版)など多数。

 
 

第38回

巧みな「船頭」を目指して

このエッセイも3年以上になり、読んでいただいている皆さんに感謝いたします。

高齢者になった自身の昔の経験を思い浮かべながら、現在活躍されている、先生方や、子どもたち、そして子どもを抱える父母の皆さんに、少しでもお役に立つであろう教育の断片を取り上げようと心がけて回数を進めてきたつもりです。

 

専門の職を退いた現在では、当然なことですが、時代の変化を痛感し、10年に1回程度の社会変化を想定・改訂してきた学習指導要領では追いつかないほどの変化に戸惑うばかりです。その流れの中で、思いもしなかった「コロナ時代」を迎えている先生方の戸惑いや努力に頭をが下げがる日々です。

 

そんな状況の中で、今後世の中はどう変化してゆくのだろう、人と人との交流の下で機能してきた学校教育はどう変化してゆくのだろう。、その社会の中で、現在学校で学んでいる子どもたちは、どのような課題にぶつかり、それを克服しようとして、どう生きていくのだろうなどとの思いが頭に浮かんできてしまいます。

 

読者の皆さん方より、長く生きてきた私は、教育とは結局、「人間」の在り方・生き方を問う仕事であり、「知識」だけではなく、「体全体」あるいは「生活全体」の問題として捉えてしまいます。人間とは「生きている存在」でありながら「生かされている存在」であり、それ以上の回答は誰にも分らない存在であるということに遅ればせながら気づいたつもりです。私たちの先人たちも、数百年・数千年にわたり、「人間とは、生とは、死とは?」と問いかけ、その答えを探したようですが、結局は「人生は空であり、<色即是空・空即是色>」(般若心経)などという経典を残してくれただけです。しかし、現役のころは「生かされている存在」などということを考えてもみなかったという気がします。

 

私自身の生きざまを振りかえってみますと、少年期には戦争と前後して、食料難に苦しみ、それでも戦後の少年期には「野球」にのめりこみ、大学では、戦後の米ソ対立の中で、あえてロシア語を選択し、その後、教育行政・教育研究・大学教師などの職場経験をし、その過程で教育関係の多くの学会・研究会・研究財団などに関係してきました。それぞれの職務や場の中で、多くの人と出会い、今日に至っているというのが「現在」とでもいえるのでしょう。

 

そこで、人生の先輩として、教師の皆さんに伝えたい言葉を探してみると、「なまの出会い(人や自然)・責任と集中・継続・ゆとり」などが心に浮かんできます。これらのことは、いろいろな職場やそれぞれの時点で体験し、感じたことであり、全く個人的な感想にすぎません。先生方は子どもたちと直接対面して、その時々に感じられておられることも多いでしょう。

 

それにしても、教師とはなんと大変な仕事でしょう。そんなことを思い描きながら、現在NHKのテレビ番組「エール」の中で歌われていた『船頭可愛や』の「船頭さん」の姿を思い起こしてしまいました。子どもたちを小さな船に乗せ、川の流れの中に漕ぎ出し、一人ひとりの顔色を気遣いながら、喜ぶ子どもたちと一緒に笑い、岩や浅瀬に出会うと、竿を指して、懸命に船を操り安全な場所を探し、終着場所で、ホッととして降ろしてあげるのですね。「熟練の船頭=教師」が連想されます。美空ひばりの『川の流れのように』や五木寛之の『大河の一滴』(流れに身を任せ、大海に流れ込む)を見聞きしながらも、「船頭」であることにこだわる教師でありたいですね。教師はある時点での結果も問われるでしょうが、子どもを前にして、その場その場の「プロセス」を大切にする以外に導く方法はないでしょう。そんな教師の仕事に「幸多かれ」と声援を送ります。