ホーム>教育深夜便 第41回 教師の「個性」を大切に

教育深夜便 川野邉 敏

-Profile-

川野邉 敏(かわのべ さとし)

昭和5年埼玉県生まれ。昭和28年東京外国語大学ロシア語科卒後、文部省入省。 昭和48年から国立教育研究所で国際関係・生涯学習関係の研究に従事。平成7年より常葉学園大学教育学部教授、平成16年より星槎大学教授。この間、東京大学学部および大学院、慶応大学・広島大学・筑波大学大学院等で非常勤講師。専門は比較教育・生涯学習。主な著書に『ソビエト教育の構造』(新読書社)、『ロシアの教育―過去と未来』(新読書社)、『子どものしつけ』(三一書房)、『現代に生きる教育思想』(ぎょうせい)、『世界の幼児教育』(日本らいぶらり)、『新任教師への手紙』(ぎょうせい)、『生涯学習論』(福村出版)、『教師論』(福村出版)など多数。

 
 

第41回

教師の「個性」を大切に

前回(第40回)は、長い歴史をたどった学校教育ではあるが、現在でも、私たち卒業生の心の奥底には「母校」が潜んでいることを書きましたが、その中には先生方の姿が含まれていることは当然です。教育にかかわりを持った者は、教育の制度や内容面の変化を受けながら、「二本のレール=戦前・戦後という大きな枠組み」の影響の中で、子どもの教育に当たってこられたはずです。

 

そう考えると、最近の新型コロナの影響の中で、二本のレールが破損または三本のレールにまで変化するのではないかと心を痛めていたのですが……しかし、そんな変化は子どもにとっては、それほど大きな意味を持つものではなく、先生方が制度的に求められる「仕事」より、子どもの心にどう触れるのかという「姿」の方が心に残り続けるのではないか -ということを思い起こしたのです。

 

もちろん、新型コロナの生活への影響が、学校教育全体にも変化をもたらすでしょう。現在の子どもの生活や心も変化しないわけにもいかないでしょう。しかし、心に突き刺さる先生の言葉や行動=姿は、教師の「仕事」とは異次元で心に触れるのではないかと考えたのです。

 

私が在学した戦前・戦中の先生方は、非常時であるため、戦後と違った要求や制約を受けていたに違いありません。子どもたちに軍歌を教え、修身や教練などは、戦意向上の気運と身体を鍛えることを目的とした時間でしたが、私が4~6年生の時の担任の先生は、自分の得意な話(宮本武蔵の話を講談師さながらの姿で語る)をしたり、雪が降れば本人も大喜びで授業時間に関係なく「雪合戦をしよう」と言って、率先して子どもを校庭に誘い出していたことなどを思い出します。

 

現在の先生方についても同じことが言えるでしょう。社会の急激な変化を受けて、学校教育もそれへの対応に苦しめられている様子が日々のニュースで、私たちの心を痛めています。現在の子どもたちに、これらの思い出は残るでしょうが、「先生の姿」はどう反映するのでしょうか。先生方の「変化の中での独自な生き方」を思い浮かべるようになれば、教師としての生きがいそのもの、とも言えるのではないでしょうか。

 

私の個人的な知人・友人のことを思い出しました。すでにこの世を去られていますが、二人の教師像です。

 

一人は「決断力・判断力・行動力」の持ち主とでも言える方でした。不登校問題などで世論が沸騰していたころ、「自分自身で解決する」と言って、草津の山奥に「白根開善学校」(六合村)という小さな私塾のような校舎を作り(1978年=昭和53年)、子どもとともに寝起きして生活し、各種の体験を通じて立ち直らせたのです。父母を説得し「父母立の学校」とも言っていました(本吉修二さん)。

 

二人目は「自己の信念」に基づく実行力の強烈な人とも言える方でした。若い時から「言葉と表現」が人の心を磨く根源だと信じ、それを演劇を通じて実践した方です。大阪市内の中学校演劇クラブの教師や子どもたちに呼びかけ、学校外で演劇学校などを設け、「人の心を理解し、思いやり、行動する態度」を育てたのです(佐藤良和さん)。

 

ここに取り上げた先生方に共通しているのは、時代の影響を受けながらも、自己の信念や特性=個性を生かし、子どもの成長を確信し、子どもの目線で指導に当たられていた「姿」でした。

 

新型コレラはいつ収束するかはわかりませんが、卒業後の子どもたちの心に残る個性豊かな教師であって欲しいものです。